よく知られているように、十一月十五日は坂本龍馬の誕生日であり、京都で暗殺された命日でもあります。
龍馬は実に不思議な人物です。彼が歴史の表舞台で活躍したのは二十八歳から三十三歳までのわずか五年間ですが、この間、近代日本の礎を築きあげるために日本全国を鬼神のごとく駆け回り、新しい時代の扉をまさに命を懸けてこじ開けました。
青年から壮年期の龍馬の人柄や考え方は現存する手紙によってかなり紹介されていますが、子ども時代の龍馬については分からないことが多いようです。
龍馬が二十一世紀の現代でも人気があり、今なお多くのファンを生んでいる背景には、彼のたぐいまれな構想力と未来を信じるからこその実行力があったからだと思います。そのことを考えると、少年時代の龍馬は決してはな垂れ小僧ではなく、理解力のある、聡明な子どもであっただろうと想像します。
龍馬の発想は、封建的な武家社会のものではなく、民主主義の視点に立ったものであったと強く感じますが、それは、龍馬が生まれ育った環境と無縁ではありません。龍馬が少年時代を過ごした当時の上町は、優秀な刀工や研師、藍染工、紙すき師などの職人や商人たちが暮らす、今風に言うと「ハイテク集団」の町でした。龍馬は、さまざまな文化や人々が交錯するこの町で門前の小僧のように多くの知識を吸収し、成長していったのではないでしょうか。
龍馬の優しさや平和主義、国際主義を子どもたちにしっかりと伝えながら、「平成の龍馬」がこの土佐から育っていくことを楽しみに待ちたいと思います。
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