明治45年3月に、宿毛市出身の竹内綱(つな)氏とその長男明太郎(めいたろう)親子が「工業は富国の基(もと)なり」の信念で私学として創立した県立高知工業高校が、ことし百周年を迎えます。
竹内綱は、板垣退助とも行動を共にしていた自由民権家でもあり、岐阜で板垣が刺された時、真っ先に駆けつけて刺し傷の処置をしています。
綱と明太郎親子は、欧米の工業の実情をよく理解しており、当時の欧米に追いつくためには、教育だと痛感し、高知工業高校を創立するとともに、早稲田大学の理工学部創設にも尽力するなど、その先見の明には頭が下がります。
長男明太郎は日本を代表する建設機械の「コマツ」の創業者です。そのコマツの創業地である石川県小松市でも、学校建設費の寄付を行い小松工業学校(現石川県立小松工業高校)を設立し、その小松工業高校と高知工業高校は姉妹校として交流を深めています。
高知工業高校設立から百年の間に卒業された生徒総数は約2万8千人に及び、まさに「工業は富国の基なり」の理念は、現在に至るまで脈々と引き継がれ、見事に実践されています。
卒業生の方々は県内はもとより国の内外で活躍されており、宿毛市出身の創立者竹内親子も百周年になったかと喜んでいることと思います。
なお、綱の五男茂は吉田家に養子に入り、後の総理大臣・吉田茂となります。
輝かしい歴史を持つ高知工業高校の百周年おめでとうございます。