韓国の木浦市で開催された、高知市出身の田内千鶴子さんの生誕100周年記念事業式典に参加しました。
千鶴子さんは大正元年に若松町で生まれ、大正7年に当時の朝鮮総督府に勤務することとなった父と一緒に、木浦市に渡ります。そして、キリスト教の伝道師・尹致浩(ユンチホウ)氏が設立した孤児施設「木浦共生園」で働き始めます。昭和13年に尹氏と結婚した後、戦後の昭和21年に帰高しますが、共生園の子どもたちの安否が心配でならず、昭和23年に再び木浦市に戻ります。
昭和25年の朝鮮動乱の中で、最愛の夫・尹氏は食料調達に出掛けたまま行方不明となります。戦争や内戦の最初の犠牲になるのは、いつも子どもたちです。増え続ける孤児たちを苦労の中で守り育てあげ、その数約3000人に上ります。
共生園の子どもたちも頑張ります。卒園した子どもたちは社会に出て、懸命に働き、成功していきます。この卒園者たちによって、共生園は守られ、さらに発展しています。生涯を孤児のために捧げた千鶴子さんは、56歳の若さでこの世を去ります。
木浦の母と呼ばれた彼女の死を多くの市民が悲しみ、その葬儀は木浦市で初めての市民葬となり、3万人が沿道で涙ながらに見送りました。千鶴子さんの素晴らしいところは、孤児であっても、自分の子どもであっても、分け隔てなく全ての子どもたちに命を懸けて愛情を注いだことです。彼女の限りない愛情に心から感謝します。