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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「Mayor's Column 内和外順」のコーナーを再掲したものです。
内和外順高知市広報「あかるいまち」より
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稲むらの火
高知市広報「あかるいまち」2013年6月号より
 坂本龍馬が本丁筋で誕生する15年前の1820年に、和歌山県広村(現在・広川町)で、一人の男の子が誕生します。その名は、「浜口梧陵(ごりょう)」、ヤマサ醤油の第7代目当主です。

 南海地震とも関連が深い安政大地震(1854年)の時に、日没後、村内で逃げまどう住民のために、大切な稲穂を燃やして、高台の避難場所を知らせた、教科書にも出てくる「稲むらの火」の主人公です。

 この歴史的な教訓をご存じの方は多いと思いますが、浜口梧陵の本当のすごさは、ここから始まります。

 浜口は、まず会社にあった米などの食糧を全て提供するとともに、近隣の庄屋にも掛け合い、避難者のための食糧を集めて回ります。

 その後、被災者のために自ら住宅を建設するとともに、当時の紀州藩主にあてて、浜口家の私財で堅固な防波堤防を建設することを再三にわたり嘆願します。紀州藩もついにこれを認め、浜口は私財を投げ打って、全長600メートルに及ぶ堅固な堤防を完成させ、数多くの津波から広村を守ります。

 実は、浜口梧陵は勝海舟とも非常に親しく、海舟が文久3(1863)年4月3日から13日に和歌山を訪れた時に、その案内役となっています。まさにこの時、4月10日に坂本龍馬が海舟に会うために和歌山で投宿し、海舟と会談しているため、龍馬と梧陵が和歌山で会ったことは間違いないと考えられます。「稲むらの火」の主人公と勝海舟そして龍馬の登場、歴史は本当にすごいと感じます。
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