硯(すずり)の職人
高品質な硯石として世界的に評価される、高知県幡多郡三原村の「三原石」。この石を活かしてつくられる土佐硯は、多くの書法家に愛用されています。土佐硯の技術と伝統を守り続ける硯職人の榎喜章さんと、若手職人として注目される壹岐一也さんにお話を伺いました。
高品質な硯石として世界的に評価される、高知県幡多郡三原村の「三原石」。この石を活かしてつくられる土佐硯は、多くの書法家に愛用されています。土佐硯の技術と伝統を守り続ける硯職人の榎喜章さんと、若手職人として注目される壹岐一也さんにお話を伺いました。
硯の良し悪しとは、どんなところで決まるのでしょうか?
榎:良い硯とは、どんな墨でも早く細かく磨(す)れるもののことです。「この硯は墨の下りが良い」などと表現します。硯が悪ければ当然、墨の下りも悪くなり、書の光沢やかすれ具合、のびや滲みにも悪影響が出てしまいます。そうならないように、石それぞれの特性を見極めて、切り出し、磨く。石碑のようにピカピカに磨きあげるわけではなく、わざと微細な凹凸を残しながら磨く必要があります。この凹凸のことを鋒鋩(ほうぼう)と言います。硯づくりは職人の腕も大事ですが、そもそも良い石でなければ良い鋒鋩は出せないんですよ。
三原村の石の主な特徴は?
榎:三原村の山深い渓谷で採れる「三原石」は、約6000万年前、海底にあった粘土質が長い年月をかけて圧し固められた石です。専門的には黒色粘板岩と呼ばれるもので、柔らかい石でありながら硬い石英も含まれ、非常に良い鋒鋩を生み出します。世界的に評価される素晴らしい石ですが、そのうち硯に育つ石は、1/3あるかないかです。
「硯に育つ石」…生き物のような表現ですね。
榎:不思議な言い方ですが、石は生きているんですよ。熱を加えると死んでしまうので、ダイヤカッターを使うときなどは、水をかけて冷やしながら慎重に慎重に切り出していくんです。また、石にも木と同じように「目」があるのですが、それを見極め、硯としてどう活かせるか考えながら磨く必要があります。これら一連の作業工程はすべて繋がっているため、分業や流れ作業では難しい。自然から与えられた石を、一人の職人がじっくり磨きあげてひとつの硯に仕上げていくので、「石を育てる」という感覚に近いかもしれませんね。
三原村の硯の歴史について教えてください。
榎:応仁の乱の時代、戦乱を逃れて土佐の地に下向した関白・一条教房公が、三原村の硯石を愛用したことが記録に残っています。現在の土佐硯のルーツは、約50年前、村の職員で書家でもあった新谷健吉さんが、硯石を再発見したことがきっかけです。この硯がたちまち評判となり、村の地場産業にしようと。最盛期には20人以上の硯職人がいましたが、時代の流れとともに書道のニーズが減ってしまって。職人の高齢化も進み、三原村の硯はこのまま衰退してしまうのかと危惧していましたが、高知県の協力もあり、後継者として壹岐さんが来てくれることになったんです。
壹岐さんは、なぜ三原村で硯職人に?
壹岐:大学卒業後は出版社で働いていましたが、ふと思い立ち、会社を辞めてしばらく全国を旅していたんです。四国でお遍路をしていた頃、高知県が土佐硯の後継者募集をしていることを知って、興味を持ちました。何となく移り住むよりは、目的があったほうが良いかもと思い、三原村で硯職人になることを決めました。
硯職人としてのこだわりを教えてください。
壹岐:硯の造形は非常にシンプルなものなので、デザインのセンスがなくてもできそうだな、と思っていました。実際、形をつくるだけなら誰にでもできてしまうと思います。ですが、やっていくうちに微細な部分での奥深さや難しさが分かってきて。これこそ完璧だと思える硯は、もしかしたら一生できないかもしれない。だからこそ、ずっと技術を追い求めていける仕事だと感じています。
最後に。
高知市を含む「れんけいこうち広域都市圏」では、二段階移住を推進するプロモーションとして、2019年に「#田舎暮らしは甘くない」を展開しました。移住者の壹岐さんにとって、田舎暮らしはどんなものでしょうか?
壹岐:田舎は虫が多いですし、草刈りや清掃、地元の行事などにも参加しなければなりません。そういった意味では、自分にとって田舎暮らしは甘くないものでした。周囲とのコミュニケーションを大事にしつつ、適度な距離感を保てると良いのかなと思います。
榎喜章
高知県幡多郡三原村出身、在住。三原硯石加工生産組合長。現役の土佐硯職人として活躍するとともに、文化・技術の伝承のため、研修制度の整備など後進の育成に努める。また、硯づくり体験教室を企画するなど、硯の普及活動にも力を入れている。