「良心市」は路傍で見掛ける無人の販売所である。販売所といっても、簡易な屋根付きの棚などに農作物を中心とした商品を並べただけのものである。そして、気に入ったものがあれば料金箱などに代金を入れ、その商品を買っていく。このような無人販売所は全国で見られるが、特に高知では「良心市」の名で親しまれている。
良心市がいつ始まったのかは分からない。ただし、これは貨幣経済の成立を前提とするので、その歴史はまだ新しいとみられる。
春野町では、戦前にへんろ道沿いに良心市が多く分布し、戦時中も存続していたという(橋詰延寿著『諸木の記録』)。なお、『西分村史』(小田玉城編・一九一五年)によると、西分村(現春野町西分)では大正三(一九一四)年に青物市場が開かれたが、長続きしなかったという。当時、同村の農作物は自家消費がほとんどであったため、定期市が開催できるほど商品を供給できなかったことがその一因とみられよう。一方、良心市はちょっとした余剰生産物を不定期に供給するには便利である。余剰生産物の少ない同村のような地域では、良心市が活用されたのではないだろうか。
ところで、「良心市」の名が定着したのはいつからか。『高知県百科事典』(高知新聞社・一九七六年)によると、旧東津野村では早くから「良心市」と呼んでいたようであるが、「出し売り」と呼んでいた地域(旧吾川村など)もあり、名前が広範囲に定着したのは比較的新しいとみられる。なお、春野町には「ダンマリ」と呼んでいた地域がある。黙って買うので「ダンマリ」というわけである。小学校内の売店も無人の「ダンマリ」であった地域もある。それでも問題はなかったという。
こうした信頼関係を前提とした良心市であるが、一方で盗難による被害も後を絶たない。そのために、無人の良心市は少なくなりつつあるという。それは近年盛行する直販所の影響もあるのかもしれないが、良心市にもそれならではの良さがある。先人はなにゆえ高知の無人販売所を「良心市」と名付けたのか。このことを肝に銘じて利用したいものである。
[こうちミュージアムネットワーク 高知市立自由民権記念館学芸員 徳平 晶]
●道沿いにひっそりとたたずむ手作りの
良心市(春野町森山)