長い裾を引いた優美な五台山に立地する竹林寺は、四国霊場の一つとして参拝者が絶えない。しかし、しばし足を止めて寺宝の数々に目をやる人は必ずしも多くはない。
実はこの竹林寺、国指定の重要文化財の建造物一棟・仏像一四件や、名勝庭園などの優れた文化財を有する、地方では屈指の由緒ある寺である。そして、秘仏で五十年に一度のご開帳(次回は平成二六年)の本尊・文殊菩薩(もんじゅぼさつ)像を除き、多くが拝観可能なことは、地元高知でも意外と知られていない。これら貴重なお宝に触れることがまれであるのは、非常にもったいないことである。
ここ数年来、ご開帳を控えて境内の整備が進んでいるが、建物の配置はこの百五十年ほどで大きく変遷を遂げている。江戸時代の絵図によると、本堂は仁王門から石段を登り詰めた正面にあり、南の高台には三重塔が描かれている。
歴史をひもとくと、諸堂は維新期の廃仏運動の受難の後、明治三二(一八九九)年の暴風雨で大破するという危機的状況にあった。
この窮地に着任したのが、越後出身の船岡芳信和尚であった。船岡和尚は、国への働き掛けとともに全国へも勧進を行い、見事に寺院の復興を成し遂げた。本堂はこの際に、北の山側を造成して修理・移築している。
昨年、本堂前の掘削に立ち会った際、地下を見る機会があった。その地盤は石灰を混ぜた赤土を十分に叩き固めて造成されており、地中からは明治期の一銭銅貨も発見された。再興に尽力された船岡和尚の事業が、百十年ぶりにわたしたちの前に姿を現したのである。それは重機などがない時代、人力のみの丁寧な仕事であったことだろう。
このように、歴代の住職や多くの支援者によって幾多の文化財が守られた結果、われわれがその素晴らしさを感受できることを忘れてはならない。
ことし、本堂屋根が二七年ぶりにふき替えを終え、輝くばかりの姿が青空に映えている。深緑が美しくなるこれからの季節、ぜひ竹林寺を訪れてみてはいかがだろうか。
[こうちミュージアムネットワーク 民権・文化財課 梶原 瑞司]
●屋根のふき替えを終えた竹林寺の本堂
(五台山)