「高知御家中等麁図」は、土佐藩家老・五藤家に伝わる高知城下町絵図で、享和元(一八〇一)年の原図を、文化八(一八一一)年に模写したものである。
絵図中心には、高知城の堀が描かれているが、城の内部情報は省略されている。その城を取り囲むように、東は堀詰、西は升形まで、町人町と区切られた武家屋敷が「御家中」として描かれている。絵図左下に描かれている上町東南部辺りは、上町西端部の貼り間違いと思われる。
城周りには藩の重臣、東北部や南西部には与力屋敷が配置されており、藩の防御的・身分的意図が伺える。特に城の南門前には、筆頭家老の深尾家と並び、安芸の土居を任された五藤家の屋敷が見える。また、藩の役所であった「北会所」「南会所」が追手門の東とその南の帯屋町に確認できる。各屋敷には氏名が記されており、ほかの城下町絵図と比較することで、屋敷の変遷等も知ることができる貴重な絵図である。
五藤家には、この絵図を含む約二万三千点の古文書や千点を超える武具や絵画、漆工品(しっこうひん)、陶磁器などの美術工芸品が残されている。そして、これら五藤家の古文書と「刀銘国益(かたなめいくにます)」は高知県保護有形文化財に、「蒔絵船形弁当(まきえふながたべんとう)」「三十六歌仙図屏風(さんじゅうろっかせんずびょうぶ)」
など二七点が安芸市保護有形文化財に指定されている。
江戸時代、五藤家はこれらの資料を高知屋敷の土蔵の中の長持ちやたんす等に入れて保管していたため、比較的良好な状態で保たれている。また、歴代の当主は目録を作って点検を重ね、さらに防虫剤の入れ替えを行うなど、資料を大切に保存してきた。
明治以後は戦災を避けるため、安芸の五藤家屋敷の蔵に文書類や美術品等を運ぶなど、保存への努力を惜しまなかった。ほかの家老たちが、戦中・戦後に所蔵する品々を手放す中でも質素倹約に励み、大切に資料を守り抜いた。多くの貴重な資料が現在まで散失せず残されている裏には、五藤家一族の強い意志が感じられる。
昭和六〇年、五藤家はこれらの資料を、市民共有の文化財として後世に伝えるために、安芸市に寄贈・寄託した。そして現在、当館で大切に保存・公開している。
[こうちミュージアムネットワーク 安芸市立歴史民俗資料館 学芸員 門田 由紀]
●五藤家が大切に保管してきた
高知御家中等麁図
(安芸市立歴史民俗資料館保管)