こうちミュージアムネットワーク

13. 福蛇(ふくじゃ)伝説 -高知市広報「あかるいまち」2013年3月号より-

 ことしは巳年(みどし)。それにちなんで蛇の話を少々。

 県内の山々には大小さまざまな川が流れており、その淵(ふち)や滝にはたくさんの蛇の伝説が語られてきた。『土佐山村史』にも、さまざまな福蛇の話が記されている。

 土佐山高川の福蛇伝説は次のような物語である。昔、高川に仁右衛門(にえもん)という豪農がいた。ある時、仁右衛門は谷川が濁り水がくめないことに腹を立て、真っ赤に焼いた包丁を川へ投げ込んでしまった。すると、急に辺りが真っ暗になり、淵が渦巻き、一羽の白い鳥が大前樽(おおまえたる)という近くの滝へ飛び去って行った。その後、仁右衛門の一家は絶え、大前樽近くの住民が次第に裕福になり、住民は滝に祠(ほこら)を構えて福蛇を祭るようになった。白い鳥は蛇の化身だったのだろう。

 同じような話は、土佐山弘瀬の梶ケ奈路(かじがなろ)にも残されている。ここでは、追い出された蛇は、直線にして南へ3キロメートルほど離れた蓮台の亀ケ淵へ移ったと伝えられている。

 家や集落の盛衰はさまざまな要因があってのことで、そこには運としか言いようのない偶然が左右している。しかし、その運のようなものを、人々は「蛇」の移動によって説明したのである。同様のもので全国的に有名なのは東北の座敷童子であるが、土佐山の山姥(やまんば)もよく似ている。山姥が居る間は家が栄え、田畑が豊作になるが、去ってしまうとその家は急に衰退してしまうというのである。

 あくまでこれらの話は伝説であり、実際には「運」も「蛇」も人々がそう考えるだけで、実体があるものではない。ただ、自然の恩恵に気が付かず、自らそれを台無しにしてしまうという内容は、どこかわたしたちへのメッセージのようでもある。

 さて、福蛇の行き先が気になって蓮台を訪ねてみた。地元の方々に土佐山から蛇が来たという伝承を聞くことはできなかったが、亀ケ淵は実在し、八大龍王が祭ってあった。毎月1日には、地区の人が大切にお祭りしているそうである。

 近くの家にいた女性に「お参りする御利益(ごりやく)は?」と尋ねると、にっこり笑ってこう答えてくれた。

 「お金が入るんでしょう」

 やはり福蛇はいるのかもしれない。

[こうちミュージアムネットワーク 高知県立歴史民俗資料館 学芸員 梅野 光興(みつおき)]

網川の大サコ谷の蛇淵。ここの主も蓮台へ去ったと伝えられている。(土佐山都網)

●網川の大サコ谷の蛇淵。
ここの主も蓮台へ去ったと伝えられている。
(土佐山都網)

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