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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
第15回 ドレー機の不時着と画家・中村博
高知市広報「あかるいまち」2013年5月号より
事故現場近くに建つ「ドレー機不時着の地」記念碑(春野町東諸木)
●事故現場近くに建つ「ドレー機不時着の地」記念碑(春野町東諸木)
 一九三七(昭和十二)年五月二十六日の夕刻、旧吾川郡諸木村戸原(現・春野町東諸木)の海岸に外国の小型飛行機が不時着する事故が発生した。パリ?東京間の懸賞百時間飛行に挑戦していたフランス人飛行士のマルセル・ドレーとフランソワ・ミケレッチが、中国・上海を経由して東京へ最終飛行を敢行する中、悪天候に見舞われて、やむなく眼下に見えた戸原海岸に緊急着陸する事態となった。
 砂浜に突っ込んだ飛行機シムーンは横転し、大破。ドレーとミケレッチは負傷する。現場に駆け付けた多くの近隣住民たちによる懸命の救助と手厚い介抱を受け、二人は高知赤十字病院に入院する。
 奇跡的に軽傷で済んだ二人は、三日後の二十九日に高知を離れるのだが、飛行機の墜落から無事生還という驚天動地の大ニュースに県内は沸き、当時の小林光政県知事をはじめとする行政関係者やマスコミなど大勢の訪問客が、病室の彼等の枕元まで連日押し寄せた。
 ドレーらの通訳を務めたうちの一人に、フランス留学の経験を持ち、後に高知県展を創設した洋画家・中村博(一九〇四〜一九八〇)がいた。彼は事故の取材を進める大阪毎日新聞社(現・毎日新聞社)高知支局からの依頼によって通訳者として関わった。
 裕福な家庭に育った中村は、十代の半ばから画家の道を志し、東京での勉学を経てパリに留学する。現地のアカデミーに通って洋画制作の研究を積む傍ら、ヨーロッパ各国の美術館や遺跡を訪れ、西欧文化の見聞を広げた。その後、約三年間の留学を経て一九三二(昭和七)年に帰郷し、高知を拠点に国画会の若き重鎮画家として活動を繰り広げた。
 中村の語学力が思わぬ形で生かされたこの出来事。ドレーらにとって遠い異国の地での心細い入院の折、意思の疎通を手助けしてくれる中村の存在は頼もしかったことだろう。また、中村も懐かしのフランスについてドレーとあれこれ会話を重ねたのではないだろうか。
 現在、東諸木の事故現場近くには旧春野町教育委員会によって「ドレー機不時着の地」という記念碑が建てられている。眼前の海岸線は砂浜の浸食が進み、堤防のすぐ前には消波ブロックが乱立しているが、おそらく事故当時は沖合まで砂浜が続いて、さぞかし美しい光景であったに違いない。

こうちミュージアムネットワーク 高知県立美術館 松本教仁(まつもとのりひと)
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