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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
第17回 つながる
高知市広報「あかるいまち」2013年7月号より
常通寺橋の北側にはかつて寺が存在していた
●常通寺橋の北側にはかつて寺が存在していた
 高知と徳島の県境に豊永郷(とよながごう)といわれた場所がある。『長宗我部地検帳』によると豊永郷の範囲は、西は現在の大豊町寺内(大田口)、東は大豊町西峰、南は大豊町天坪(あまつぼ)・戸手野(とでの)、北は徳島との境である。「豊永」の由来は熊本県玉名郡にあり、現在も熊本に豊永の地名が残る。そこからはるばる高知まで歩いて来たのだ。

 さて、高知市に地名で○○寺とあるのに寺院がない場所がいくつかある。それらは、江戸時代以降、災害やさまざまな改革、明治時代の神仏分離の影響により廃寺となった場所である。こうした寺の経過について、『皆山集』には「藩政中の届け出寺院は六百十有余ケ寺あり、明治維新後二百八十余り」と記されている。また『高知県史要』にも、「明治維新前に六百十五ケ寺あったが四百三十九ケ寺が廃寺になった」とある。真言宗の寺院に関しては十六ケ寺にまで減ったという記録もある。第四小学校の北を流れる江ノ口川に架かる常通寺橋(じょうつうじばし)も、そうした廃寺のなごりといえる。

 前述の豊永郷の中心地(現JR豊永駅)近くに定福寺(じょうふくじ)がある。定福寺は廃仏の影響を受けたものの廃寺を免れ、その境内には宝物館と、当時の人々の生活を伝える民具(四国で唯一国の重要有形民俗文化財に指定)を保存する定福寺豊永郷民俗資料館がある。

  宝物館には、江戸末期から明治初期にかけての住職であり、竹林寺の松窓律師(しょうそうりっし)の弟子でもあった野本進甲師(のもとしんこうし)の記録がある。進甲師は弟子に住職を譲り、県内の寺院復興のため各地を歩いて回り、大日寺(香南市)や寶幢院(ほうどういん)(香南市)、清滝寺(土佐市)など多数の寺の復興に携わった後、東光寺(本山町)で遷化(せんげ)したとある。

 古代より人々はさまざまな思いや目的を持って歩いてきた。そして、これからも歩いていく。多忙な生活の中、ゆっくりと周囲を見渡すと、土佐の原風景とともに、かつての人々の思いがそこに見え隠れする。新たな昔を知る知の発掘ともいうべき作業は、さまざまなつながりを感じさせ心を豊かにする。

 四国山地を人が歩き、物や思考が行き交っていた。高知県は森林率八十四%と、県土の多くを山間地域が占めている。土佐の文化を知る上で、山間地域の文化を見逃すことはできない。

こうちミュージアムネットワーク 定福寺宝物館・定福寺豊永郷民俗資料館 学芸員 釣井龍秀(つるいりゅうしゅう)
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