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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。 | ||||
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん |
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●澤本駒吉商店(『土佐名鑑』〈県立図書館所蔵〉より) 大正七(一九一八)年八月十五日、巡礼姿の若い女性が、高知市内の書店で一冊の本を購(あがな)った。<br>
<br> 「京町という処(ところ)で書店を発見し長い間遊んでしまった。詩集か歌集か随筆かをと探したけれど、いいものがない。遂にタゴールの『伽陀(かだ)の捧物(ほうもつ)』を需(もと)めて漸(やっ)とそこを出た」(『娘巡礼記』)。<br> <br> 女性の名は高群逸枝(たかむれいつえ)。後に日本の女性史学の泰斗(たいと)と言われる彼女だが、京町の書店で「遊んだ」その時は二十四歳。仕事や恋、人生に悩み、郷里熊本を出て四国八十八カ所を巡っている最中であった。もっとも巡礼の先々から郷里の新聞社に文章を寄せ、その連載が大好評を博していたというのだから、やはりただ者ではない。<br> <br> それはそれとして、彼女がタゴールを買った書店のことが気になった。<br> <br> 明治四十二(一九〇九)年八月刊行の『土佐名鑑』に、当時の県内の官公庁、学校、寺社、市町村別の会社・商店等が掲載されている。市内の書店は七軒が紹介されているが、高群が訪れたのは京町の書店であるため、該当するのは、種崎町(現はりまや町)の片桐開成舎と澤本駒吉商店の二軒ということになろうか。<br> <br> さらに、大正九年初版の『高知市史』には、種崎町に大正四年設立の富士越書店の名もある。これも候補の一つに加えてよいだろう。しかし、残念ながら高群ゆかりの書店の詮索はここまでしかできない。<br> <br> 高群の書店散策からおよそ百年が過ぎた現在、電子書籍が登場し、インターネットで本が買えるようになったが、街の書店の持つ魅力は少しも減じていない。本は単なる商品とは似て非なるものであり、書店はその街の良識を体現したような存在である、というのは言い過ぎだろうか。<br> <br> 今、わたしたちの街に大きな図書館ができようとしている。それは大変喜ばしいことだが、図書館にしても書店にしても大きなものが一つあれば事足りる、というものでもないだろう。<br> <br> 高群がそうであったように、目配りの利いた街の書店で本の背を眺める時間は、何物にも代えがたいものである。そのような時間の積み重なりが、わたしたちの暮らしをほんの少し、でも確実に豊かなものにしてくれるのである。 こうちミュージアムネットワーク 高知県立図書館 渡邊 哲哉 |
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