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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。 | ||||
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん |
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●中村時計博物館には多くのゼンマイ式時計が展示されている。
東京オリンピックが開催された昭和三十九(一九六四)年、わたしは家業の時計屋を継ぐことを決心した。当時は時計がよく売れ、それに伴って修理も多く、時計商を営む者にとってはよき時代であったからである。
わたしは父の勧めるままに、大阪の小さな時計店に住み込みで働き、時計の修理技術を習得した。それから三十四年経った平成十(一九九八)年六月十日、わたしは父の造った店を建て替えて、「時計博物館」を設けた店舗をオープンさせた。 父の店は後免商店街(南国市)の中でも、きれいでモダンな店であった。そんな店を、なぜ新しく建て替えねばならなかったのか。それは時計業界と商店街の衰退にあったからである。 わたしが時計屋になったころは「ゼンマイ」で動く時計が主流であった。ところが、一九七○年代後半になって、水晶の振動を利用して時間を計るクオーツ時計が低価格で販売されると、電池で動くこの時計は故障が少ないということもあり、ゼンマイ式の時計は製造されなくなった。 やがて町の時計屋は、修理と分解掃除という大きな仕事が激減し、次々と廃業していった。それと歩調を合わせるかのように、商店街のほかの店も次々と廃業していき、町はシャッター街と化してしまった。 このような状況で、ゼンマイ式古時計を時計博物館に展示すれば、文化財としての古時計を後世に残していくことができる。そのことが町の活性化につながるかもしれない」と、わたしは考えた。 全国各地で、多くの人々がさまざまな方法で町おこしを行っている。町おこしは、寂れたその町で、今なお自分の店にしがみついて商売を頑張っている熱意ある者が、まず汗を流さなければ始まらない。 現在六十八歳のわたしには、多くの時間は残されていない。 わたしは自分の目指が動く限りゼンマイ式古時計を修理し続け、そして時計博物館を前面に押し出す活動によって、高知県とわが町・後免町の町おこしを行っていくつもりである。 こうちミュージアムネットワーク 中村時計博物館 館長 中村 昭弘 |
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