高知市
あかるいまち 高知市トップへ
高知市トップページ  > あかるいまちトップページ  > 歴史万華鏡(もくじ)  > 2014年10月号
このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
第31回 文殊菩薩(もんじゅぼさつ)ご開帳
高知市広報「あかるいまち」2014年10月号より
ご開帳の際に文殊菩薩が上に乗る文殊菩薩獅子台座(中央)
●ご開帳の際に文殊菩薩が上に乗る文殊菩薩獅子台座(中央)
 ことし、竹林寺は五十年に一度の本尊・文殊菩薩のご開帳の正当年を迎えた。ご開帳は春秋二期にわたって行い、春のご開帳では連日、県内外より大勢の参拝者が訪れた。

 竹林寺の本尊・文殊菩薩は、当寺(とうじ)を開創した僧・行基(ぎょうき)によって神亀元(七二四)年に造られた霊像と伝えられている。古来より「日本三文殊随一」と称され、四人の侍者を従えた文殊五尊像形式の中では日本最古の作例として、国重要文化財にも指定されている。

 本尊が初めてご開帳されたのは、今から三百十年前の宝永元(一七〇四)年のことである。実は、この時のご開帳は竹林寺で行われたものではなく、出開帳として遠く江戸の地で営まれたものであった。

 この出開帳にまつわる史料によると、江戸までの道のりについて、本尊は甲浦から大阪まで海路で進み、その後は「荷物は船にて廻り、文殊は陸路なり」とあり、東海道を上ったといわれている。会場となる護国寺に入る時には、土佐藩邸や護国寺に出入りする人々など総勢千人を超す江戸の町人が同行し、盛大に会場入りしたといわれている。

 会期中は大勢の町人が連日詰め掛け、護国寺でのご開帳を終えると本尊は江戸城内に移り、五代将軍徳川綱吉公の生母・桂昌院(けいしょういん)など城内のあらゆる女人がその尊容を拝したと伝えられている。その後は大坂の生玉曼荼羅院(いくたま まんだらいん)を会場に、土佐に戻ってからは竹林寺でご開帳を行った。

 ところで、「高知」の地名は竹林寺の文殊菩薩にちなむことをご存じだろうか。現在の高知城が完成しようとするころ、二代藩主・山内忠義公の命を受けた竹林寺住職・空鏡が新しい城山を「高智山」と命名した。由来には、新しい城が五台山に祭られる文殊菩薩の持つ高い智恵にあやかり、よき治世を進めてもらいたいとの思いが込められていたといわれ、後にこの名称が「高知」に転じたのである。

 竹林寺では来る十月二十五日から一カ月間、秋期ご開帳を行う。さまざまな歴史を秘め、数えきれないほどの人々の願いや祈りを受けとめてきたその姿を、ぜひご覧いただきたい。

こうちミュージアムネットワーク 竹林寺宝物館 海老塚 和秀
▲このページの先頭へ
高知市トップページ  > あかるいまちトップページ  > 歴史万華鏡(もくじ)  > 2014年10月号
Kochi city
All Rights Reserved. Copyright Kochi-city.