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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。 | ||||
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん |
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●手塚治虫の描いたフクちゃん。横山隆一記念まんが館で常設展示している。 二〇〇〇年ごろから、日本文化を海外に売り込む経済戦略「クールジャパン戦略」が始まった。映画・音楽・漫画・アニメ・ドラマ・ゲームなどのサブカルチャーが「クールジャパン」の代表とされる。 一九九四年ごろ、サンリオ社は米・マイクロソフト社より、キャラクター・ハローキティのデジタル化権を約六千億円で買収したいと申し込まれたが、ハローキティの資産価値は約一兆五千億円であると断ったという話から、「キャラクターやアニメコンテンツがお金になる」ということに気付いたのが始まりなのかもしれない。 高知県はいち早く「まんが王国・土佐」を名乗っているが、何をもって高知はまんが王国なのか。 現代の漫画が、日本を代表する文化とまでいわれるようになったのは、手塚治虫の存在が大きい。その手塚にも大きな影響を与えたのが、高知市出身の漫画家・横山隆一である。手塚は、隆一の代表作『フクちゃん』の絵を子ども時代に何度も模写し、見なくても描けるようになるまで練習した。 また、今や日本人なら誰でも知っている『アンパンマン』の原作者・やなせたかしは、香美市出身で、隆一より十歳年下だった。隆一が中心となっていた「新漫画派集団」の展覧会を高知市で見た際、隆一の絵の「モダンで、簡単なところ」をいいなあと感じ、これなら自分も描けると思ったという。さらに、やなせの同級生・稲垣穣の姉が隆一と結婚しており、彼の家で、映画スターの女優と親しそうに写っている隆一の写真を見て、なんと楽しそうな生活と思い、漫画家に憧れたという。これは隆一の新聞連載漫画『江戸ッ子健ちゃん』が実写映画化されたころのことであろうか。 隆一がいなければ、その後の漫画の世界は大きく違っていたかもしれない。彼の新漫画派集団(現・漫画集団)は、漫画家という職業を確立させた組織でもあり、後輩に道を開いた。隆一がいたからこその「まんが王国」であろう。 ちなみに、前述のハローキティデザイナー(3代目・当時)・山口裕子も高知市出身である。 こうちミュージアムネットワーク 横山隆一記念まんが館 学芸員 田所 菜穂子 |
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