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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。 | ||||
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん |
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●河田小龍「浦戸湾図」(小襖四面のうちの一面、部分)。制作年不詳。(高知県立美術館蔵) 江戸時代後期から明治時代初期にかけて、高知でよく描かれた画題に「吸江図」がある。吸江は五台山の麓、浦戸湾の豊かな水に接する風光明媚の地だ。「吸江十景」と呼ばれる名勝も古くから点在しており、今も各所に立つ看板の案内で「法師ケ鼻(ほうしがばな)」などのユニークな名前を冠した名所をたどることができる。 この吸江の地に魅せられ、たびたび絵に描いたのが江戸時代後期から明治時代初期に活動した土佐の画家たちだ。現在、楠瀬大枝(くすのせおおえ)(一七七六〜一八三五)、壬生水石(みぶすいせき)(一七九〇〜一八七一)、島崎呉江(しまさきごこう)(一七九五〜一八五二)、橋本小霞(はしもとしょうか)(一八一三〜一八七九)らが吸江図を描いた土佐の画家として知られているが、中でも特徴的な吸江図を描いたのが河田小龍(一八二四〜一八九八)である。 多くの画家が描く吸江図は北から浦戸湾を見下ろし、「吸江十景」を見渡せるように描かれているのに対し、小龍の作品だけは南から水平に吸江を捉え、横に長い構図となっている。このような違いは、描かれる内容とも密接に関わっている。小龍はその横長の形式を生かして、画面の中央に青柳橋を据えている。わたしが知る限り、この時期の吸江図で青柳橋を描き込んだ作品は小龍のもの以外に見たことがない。 青柳橋が浦戸湾に架けられたのは明治初期のこと、つまり小龍の吸江図は、明治時代に新しくできた名勝を取り込んだのである。小龍は同じ形式でいくつもの吸江図を残しているが、それらの多くには帆傘船が描き込まれ、浦戸湾に浮く島々(現在は無人島)に建物と人々が立っている姿を確認することができる物もある。小龍の吸江図は、ある限られた時期に生きた人々が目にしたであろう情景や風景をわたしたちに届けてくれるタイムカプセルのようだ。 ちょうど現在の新青柳橋の辺りから青柳橋の方を見ると、小龍の吸江図と近い視点で浦戸湾の景色を楽しむことができる。小龍が通り掛かったかもしれないその場所で、ゆっくりと風景を眺めるのも良いかもしれない。 こうちミュージアムネットワーク 高知県立美術館 学芸員 中谷 有里 |
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