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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。 | ||||
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん |
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●夏祭りを彩る芝居絵屏風(朝倉神社) 夏祭りの日には、参道をまたぐように六つの大型の絵馬台が組み立てられ、幕末土佐で活躍した芝居絵師・絵金やその弟子たち、いわゆる「絵金派」の描いた芝居絵屏風が二十四点はめ込まれる。祭礼に訪れた人々は絵馬台をくぐり、掲げられた芝居絵屏風を見ながら参詣する。 歌舞伎や浄瑠璃の情念溢れる世界を極彩色で描いた芝居絵屏風は、宵闇に提灯(ちょうちん)のほのかな灯りで浮かび上がり、見る者を魅了する。夏祭りに芝居絵を飾る風習は幕末から続く土佐独特のものだが、戦後ごろから減少し、現在では県内十カ所の神社で行われている。そのなかでも朝倉神社は、祭礼が始まった当初から、その姿が変化している。 朝倉神社の夏祭りでは、曙町、倉(くら)・前田、城山(じょやま)、西東横町(にしひがしよこまち)、宮の前奥咥内(おくこうない)、米田の六つの地区が、それぞれ絵馬台一台と芝居絵屏風四枚を持ち寄り展示している。しかし、当初は米田と宮の前奥咥内の二地区のみが朝倉神社に展示していて、倉・前田と城山地区は、各集落の中に展示していたという。 大正四(一九一五)年に西東横町、倉・前田地区が神社の展示に加わった。その後、城山地区も集落の展示を続けながら朝倉神社への展示を始め、昭和初期から朝倉神社にのみ展示するようになった。曙地区は新たに芝居絵屏風を購入、昭和四十二(一九六七)年より朝倉神社へ展示するようになり、現在の夏祭りの姿となった。集落ごとに行われていた素朴な祭りが次第に集合、さらに新しい地区が加わり、華やかになっていった経緯がうかがえる。 絵金は芝居絵屏風を大成し、土佐の夏祭りに新たな風を吹き込んだ。そして、芝居絵屏風を飾る文化はただ継承されてきたのではなく、絵金が没した明治九(一八七六)年以降も、弟子たちや氏子たちの手で進化を続けたのである。 創造広場「アクトランド」 横田 恵 |
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