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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。 | ||||
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん |
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●司馬遼太郎が起毛した「てき儻不羈」 司馬遼太郎記念館所蔵 幕末から明治初期の知識人によく用いられたことばに「てき儻不羈(てきとうふき)」があります。才気に溢れ、独立心が旺盛なことを意味しており、名誉高知県民でもある司馬遼太郎(しばりょうたろう)も好んで使っていました。 同志社大学を創立した新島襄(にいじまじょう)は「てき儻不羈な生徒、学生を型にはめずにその特性を生かせ」と遺言を残しました。そのことばは、大学の教育理念として現在も引き継がれています。 司馬は『この国のかたち』の中で、このことばについて触れ「ある種の独創家、独志の人、あるいは独立心の強い奇骨といった人格をさす」とし、土佐藩の精神的風土を例に挙げて「てき儻不羈の一手販売のような土地だった」と書いています。 その代表格として、描かれたのが坂本龍馬でした。 司馬によって、一九六二年〜一九六六年まで、産経新聞夕刊に掲載され、坂本龍馬を広く世に知らしめた『竜馬がゆく』。その発行部数は、単行本・文庫本合わせて、二千五百万部ともいわれています。 「天に意志がある。としか、この若者の場合、おもえない。天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。この夜、京の天は雨気が満ち、星がない。しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた。」なんとも感動的なことばで、幕は閉じられます。 ここには、天から使わされた未来への使者としての竜馬が描かれています。 坂本龍馬を始めとして、幕末には、多くの土佐の志士たちが活躍しましたが、彼らのほとんどは、明治という新しい時代を見ることができませんでした。 高知では、志国高知幕末維新博、第二幕が始まりました。龍馬が押し開けた未来への扉。今を生きる私は、高い視点からこの時代を生きた人物やその人生を鳥瞰(ちょうかん)し、後世に伝えてゆきたいものです。 高知県立文学館 学芸課長 津田加須子 |
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