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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。 | ||||
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん |
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●小島祐馬博士 ※泰山北斗の略。その道で最も権威のある人。 京都帝国大学人文科学研究所の初代所長を務めたほどの人物で、退官後に春野へ帰郷し畑仕事をしていたところ、吉田茂首相の意を受けた役人から文部大臣への就任を要請されますが、「わしは麦を作らんならん。そんなことをしているひまは無い」と答えた話は痛快です。 小島邸には、博士が帰郷する際に恩師から贈られた「抱甕灌圃」という書があります。 「抱甕灌圃」とは『荘子(そうじ) 』(古代中国思想家の書)に出典を持つ言葉で、抱甕とは甕(かめ)を抱くこと、灌圃とは畑に水をまくこと。重たい甕を抱きながら畑に水をまくというような、鈍重な生き方を表現した言葉です。『荘子』(金谷治訳注「岩波文庫」)には次のような話があります。 孔子(こうし) の弟子の子貢(しこう)が楚(そ)の国を旅していた時のこと、一人の老人が畑仕事をしているのに出くわしました。老人は歩いて井戸に行き、水甕に水を入れては、畑に水をやっていました。骨を折って努力しているのに、あまり効果があがりません。そんな老人を見て子貢が、一日に百畝にも水をかけられる「はねつるべ」の仕掛けを教えようとしました。 すると、その老人は笑いながら次のように答えました。「わしは師匠から教えられたよ。「仕掛けからくり」を用いる者は楽をしたがるようになり「からくりごと(たくらみごとの意)」をするようになる。「からくりごと」をする者は雑念が生まれ、純真潔白な心が失われる。そのような者は「道(宇宙・自然の理法)」に支持されない。わしはその仕掛けからくりを知らなくはないが、それは「道」に対して恥ずかしいから使わないのだ」 この「抱甕灌圃」という言葉は、小島博士の生き方そのものを表しています。功利・効率を求める生き方を良しとせず、鈍重であっても地道な努力を積み重ねてゆく。人としての素朴な幸福の在り方を、二千年の時を超えて荘子が語りかけているようにも感じられます。 高知市春野郷土資料館 横山 有弐 |
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