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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。 | ||||
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん |
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●馬詰親音誕生地の碑 寛延元(一七四八)年にこの地に生まれた親音は、九代藩主山内豊雍(とよちか)、十代藩主山内豊策(とよかず)の治世下で、持ち前の視野の広さと豊かな学識で、藩吏として優れた手腕を発揮した。 たとえば、彼は藩命で江戸に出るたびに専門家の元を訪れて製糖法について聴取し、仁井田や種崎で砂糖の原料になる甘蔗(かんしょ)植え付けを行わせ、城下の豪商を売りさばき問屋に指定するなど、土佐での製糖業の育成に尽力する。 親音はまた、江戸や京都、大坂の文化人とも交流した。特に和歌は、京都の公家日野資枝(すけき)に入門して大いに励み、その生涯に作った歌は三万首に及ぶという。また、同好の士とともに『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』、『源氏物語』などの読書会も主宰した。 寛政九(一七九七)年に御町奉行に就任してからは、城下町の都市政策にも取り組む。現在の桜井町にその名をとどめる「桜井」は、親音が近江彦根から技術者を招いて掘削させた土佐では初めての揉貫(もみぬき)井戸で、その完成により下町一帯は良質な水を得られるようになった。また、飢饉(ききん)対策として、社倉(しゃそう)と呼ばれる備蓄倉庫を設置したことも知られる。 特筆すべきは、町奉行所直営の貸本業を行ったことである。『皆山集』所収の「増補事物終始(ぞうほじぶつしゅうし) 」には、親音が土佐の人々の啓蒙のため、吉田屋亀助という商家に書籍代を無利子で貸し下げ、城下で貸本屋を始めさせたことが記されている。 この夏、親音誕生地にほど近い追手筋にオーテピアが開館した。情報や知識と人を結び、課題を解決していくというオーテピアの掲げる理念は、馬詰親音がなそうとしたことにも一脈通ずる。産業の育成やライフラインの整備により、人は安心して暮らすことができる。そして、文化や情報・知識がそこに加わるならば、その暮らしはより豊かなものになるだろう。親音の時代であれ現代であれ、それは変わることのない普遍的なことなのである。 オーテピア高知図書館 渡邊哲哉 |
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