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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
旧立川番所書院と土佐北山街道
高知市広報「あかるいまち」2018年9月号より
国重要文化財の旧立川番所書院(大豊町)
●国重要文化財の旧立川番所書院(大豊町)
 大豊町立川下名(たじかわしもみょう)にある旧立川番所書院は、立川下名庄屋番人川井惣左衛門勝忠(かわいそうざえもんかつただ)が寛政元(一七八九)年から周辺の山々の木材を調達して建築したもので、約二三〇年経過した高知でも代表的な歴史的建造物である。幕末の動乱期を経て、明治五(一八七二)年には、鈴木家が川井家より建物を買い取り、立川の旅人宿(りょじんやど)として改造し営業した。

 その後、大豊町に譲渡されて昭和四十九年に「旧立川番所書院」として国の重要文化財に指定された。桁行(けたゆき)十七メートル、梁間(はりま) 十二メートルの重厚な寄棟造(よせむねづく)りかやぶきの建造物の内部は、玄関・大広間・次の間・上段の間などがあり、全国的にみても貴重な建物である。

 番所周辺では立川川沿いに参勤交代北山街道や集落民家が残る。書院の北には、幕末期に若き坂本龍馬が水戸藩士の住谷寅之助(すみやとらのすけ)と会見した荷宿跡(にやどあと)がある。住谷は水戸藩の尊王攘夷(そんのうじょうい)志士で、同志と共に大老井伊直弼(いいなおすけ)の暗殺を企てた人物である。

 参勤交代制度は寛永十二(一六三五)年、徳川家光の時代に定められた。土佐藩の参勤交代は当初は浦戸湾から大阪までの海路、その後は東部街道から奈半利の野根山越えで甲浦(かんのうら)に出る陸路の時期があったが、室戸岬沖や紀伊水道の海路の荒天や波浪などによる波待ちの悪条件から、享保三(一七一八)年に陸路の北山越えに変更された。高知城から領石・本山を経由して立川番所で宿泊し、伊予の馬立から川之江に至った。そのため旧立川番所書院は土佐での最後の宿所となった。参勤交代の随行員は、最多記録一七九九名で、江戸までは三十日を超す大変な旅であった。立川番所北には荷宿跡が残り、北山街道を往来する旅人や荷物運搬で繁栄したと想像できる。

 近年は、県芸術祭支援の地域住民による文化財建造物を活用した地域活性化が進んでいる。今秋十月にも書院内部を舞台にしてプロの生演奏による打楽器の祭典が実施される。秋の一日に友人や家族と参加し、藩政時代の歴史的建造物内部での迫力あるコンサートを楽しみたい。

NPO高知文化財研究所 代表 溝渕博彦
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