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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
「憲政之祖国(けんせいのそこく)」土佐
高知市広報「あかるいまち」2018年12月号より
憲政之祖国碑
●憲政之祖国碑
 明治一五〇年にあたることしは、幕末維新関連のさまざまな行事がおこなわれた。これは幕末維新の激動についてだけでなく、その後の歴史を振りかえるという意義も持っている。
 高知市の東九反田公園には「憲政之祖国」と刻まれた大きな碑がある。「憲政之祖国」と胸をはれるのは高知ぐらいではないだろうか。また、同時に建立された「嗚呼不朽(ああふきゅう)」の碑は、「土佐精神集積鍛錬ノ聖地」と結ばれている。
 この地には、幕末の開成館設置から始まる土佐の近代の歴史が積み重なっている。幕末期に、西洋文明の導入、産業育成などを目的に開成館が創設され、土佐藩近代化の礎となる活動がおこなわれた。
 さらに、「開成館址(あと) 西郷・木戸・板垣三傑会合之地」という記念碑も建立されている。明治四(一八七一)年一月、維新三傑の西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通を迎えて、板垣退助、福岡孝弟(たかちか)との薩長土首脳会談がおこなわれた。明治新政府の軍事力を整備するために、三藩から御親兵を献上するという維新史上の重要な政策を決定し、これは同年七月の廃藩置県を断行する軍事的背景となった。
 明治初頭には、立志社・立志学舎が創設されて自由民権運動の発祥の地となり、その後、海南学校が置かれ多くの人材が巣立っていった。
 海南学校は昭和七(一九三二)年、県立城北中学校と合併し、小津の地に移転、その校史は、県立高知小津高校に引き継がれている。また、海南学校の正門であった開成門も小津高校に移築されている。
 そして昭和十六(一九四一)年に土佐政界の長老の親睦団体である大松倶楽部(だいまつくらぶ)が、海南学校跡地に当時料亭として使われていた板垣旧邸を移築して、憲政館と命名。翌年、「憲政之祖国」碑、西側に「嗚呼不朽」碑を建立し、わが国の憲政創設に果たした土佐の功績を後世に伝えようとした。
 自由民権記念館では、「高知市中心部 民権史跡案内図」を発行し、無料で配布している。まち歩きに活用して、先人たちが活躍した歴史の足跡をたどっていただきたい。

高知市立自由民権記念館 館長 筒井秀一
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