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土佐史研究家 広谷喜十郎 |
214万徳屋長助(まんとくやちょうすけ)の出世話-高知市広報「あかるいまち」2001年11月号より- |
江戸時代後期になると、農民的商品経済の発展が一段と顕著になり、国産品の生産過程に介入し、発展してきた田村屋(砂糖)、桜屋(石灰や椎茸)のような商人の台頭がみられるようになっている。 また、このような時代を反映して文才を生かして商人から学者になった人もおり、地芝居なども盛んになって庶民文化が花と開くのであった。 ![]() ある時、酒気を帯びて城下を通行していた折に役人に呼び止められたが、その態度が横柄だったので役人を投げ飛ばしている。そのため長助は城下から追放されてしまったが、金のもうけ口がないかと、ある漁村で魚の網取りの工夫を考え出して、これが見事に当たり2年間ぐらいで大いにもうけている。 やがて、長助の豪気さと才智がプラスに働いて、城下町でめざましい商業活動をして金をもうけ、酒造家となり、郷士株を買い取り実家をも再興させている。 さらに、長助は、土佐藩を相手に仕送屋(しおくりや)という金融業をも行っていたが、武士の方は二本差しの刀に物を言わせて商人側に無理難題を押し付けることがあった。その折には、長助は火薬5斤を懐中に入れて、武士の家へ行き、「家もろとも爆発させるぞ」と相手を驚かせている。同じ町内に勇気のある才智にたけた長助がいたことが、龍馬の少年時代に大きな影響を与えたかも知れない。 |