土佐史研究家 広谷喜十郎 |
223鏡川を考える(3)-高知市広報「あかるいまち」2002年9月号より- | |
鏡川の水源の一つでもある高知市七ツ渕には、龍神様がまつられている。この七ツ渕神社は五穀豊穣、大漁、商売繁盛の神として有名である。昭和初期の記録によると、祭礼には県内外から数千人の信者が集まったという。この神は生卵とお酒が好物で、信者たちは滝つぼに酒を流し込んだり、生卵を投げ入れたりしていた。しかし、金属器類は大嫌いで、これらを投入すると「たたりがある」と言い伝えられている。 人々に幸せを与える福蛇がすむいくつかの渕の一つ、弘瀬の蛇渕(へびぶち)の話。 ある時、近くに住む人が渕の一部を埋め立て、土地を開発しようとした。毎日、大石や土砂を投げ込んでいた。が、不思議なことに翌朝になると、渕は元のままに戻っている。そこで、「関の小刀を渕に入れよ」と、いう人があり、それを実行すると渕がやっと浅くなりかけた。しかし、ここの福蛇が怒ってたたり、その家は没落してしまったという。この福蛇は、鏡村の亀ガ渕に移りすんだが、元の蛇渕が恋しくて、時折帰るといわれている。地元では、夏と秋に龍王様祭りをしているそうである。 さらに、土佐山村にある、いくつかの「牛鬼渕(うしおにぶち)」の怪物話の伝承も紹介されている。 平石集落の豪農が、川に毒を流して魚を捕ろうとした。ある夏、下男と共に山へ行き、山椒の木の皮をはいできて、土灰を入れてうすでつき、毒をこしらえた。そして、牛鬼渕ヘ下見に行ったところ、渕の底から金色の蛇が出て来て「今、子を育てています。毒を入れるのはどうぞ七日先にしてください」と、何度も哀願したそうである。 聞かずに、毒を上流から流したら、にわかに天候が荒れて大雨となり、七日七夜降り続いて、豪農の家は押し流されてしまったと、『土佐山村史』にも記載されている。 鏡村との境界の高知市行川には、綾織渕(あやおりぶち)がある。 その昔、鵜匠が鵜を使って漁をしていた。鵜が二つの大岩の間の穴に潜り、出てこなかった。漁師が見に行くと、渕の底で美女が機を織っていた。そこで「綾織渕」と名付けられたという。 これらの伝承には、自然と共生し、河川をいつまでも清浄に保ちたいとの願いが込められていると思われる。 |
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