土佐史研究家 広谷喜十郎

225鏡川を考える(5)-高知市広報「あかるいまち」2002年11月号より-
  鏡村にある、高さ926メートルの雪光山(せっこうざん)(国見山)は、かつて「不入山(いらずやま)」として神聖な場所に位置付けられていた。その後、月のうち半分は入山が認められていたものの、不用意に立ち入ることは許されなかった。

●朝倉堰のそばに建つ水神社
朝倉堰のそばに建つ水神社
 享保年間(1716〜1735)のこと、雪光山の藩有林の払い下げを受けた高知城下の天満屋与左衛門(てんまやよざえもん)が材木を切り出した。そして、鏡川へ材木を流し、蛇洞(へびどう)と呼ばれている渕に差しかかったところ、材木がすべて渕の底に吸い込まれてしまったそうである。与左衛門は近くにある地蔵堂にこもり、祈願をした。すると、夜中に天候が一変して大雨となり、不思議なことに夜明けとともに、材木は再び姿を見せていたと、下本国重著『鏡のむかし話』に紹介されている。

 また、高知城下の材木商の木屋も山の鎮めに、「大黒さまの像」を寄進したところ、円滑に山仕事が進んだとも述べられている。

 鏡川での自然に対する厳しさを伝えている話は、他にもいくつかある。鏡村では小浜(こはま)地区に牛鬼ヶ渕(うしおにがぶち)があり、白岩地区の明神ヵ滝に「古へ牛鬼居申候」(『地頭分風土記』)とあり、土佐山村では、高川地区のお蟇渕(ひきぶち)、長谷(ながたに)地区の牛鬼渕、平石地区の牛鬼ヵ渕などが語り継がれている。

 土佐山村桑尾地区にある鳴呼(なるこ)の渕の主は、昔からきれい好きで知られており、「上流では、汚れたものを流してはいけない」との言い伝えがあった。明治のころに、ある人が「そんなことがあるか、おらが試してみる」と、人の止めるのも聞かず、渕の上流で、かまの研ぎ汁をわざと流した。数日後、その人の家囲いの大木が倒れかかり、家がつぶされてしまったと、『土佐山村史』に記されている。

 鏡村池河内(いけがち)の平家の滝のそばにある滝神社は、平家の落武者の霊を供養するとともに「自然ノ霊魂ノ祟り」(『神社明細帳』)を鎮めるために建立されている。

 このように、「鏡川の流れがいつまでもきれいであってほしい」との祈りを込めて、御霊神社(ごりょうじんじゃ)や龍神をまつる祠堂(しどう)が各地に建てられている。

 鏡川下流の朝倉堰(ぜき)のそばにある水(みず)神社は、朝倉や鴨部地区を洪水から守り、水田地帯にうまく水が供給できるようにと建立されたものであろう。


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