土佐史研究家 広谷喜十郎 |
226鏡川を考える(6)-高知市広報「あかるいまち」2002年12月号より- | |
最近、河川研究家の天野礼子氏が『川よ』(NHK出版)の中で、「森は海の恋人、ならば川はその仲人」と言っている。このような発言が目立つようになっている。 筆者もこれについて、前々から若干のまとめをしているだけに、「わが意を得たり」と思っている。 海岸に住む人々にとっても、樹木は大切なものであったとみえる。桂浜には、「古キ樹木ハ此地ノ歴史ヲ語ルモノナレバ之ヲ愛護セラレタシ」との石碑が建てられている。 鏡川流域のシンボル的存在の工石山や雪光山(国見山)が、かつては「不入山(いらずやま)」として神聖な信仰の対象になっていた。その流域には、潮江天満宮の大クスノキ、土佐山村の白山(しらやま)神社のイチイガシ、鏡村の八坂神社の大スギなどの巨樹が数多くある。 巨木に出合うと親しみを覚え、気持ちが和むのはなぜだろうか。 これらの樹木は、霊験(れいげん)あらたかな神木として長く保存されていくのである。例えば、生命力たくましいクスノキにあやかりたいと、かつては名前に「楠」の字がよく使われていた。 鏡村にある乳(ちち)イチョウの木は、現在のように、乳児用のミルクが存在していない時代には、乳根(にゅうこん)がちょうど女性の乳房に似ていることから、乳の出の少ない女性がよくお参りしていたとの言い伝えがある。 これらの巨木は歴史の生きた証人であり、歴史的に重みのある樹木の由緒を探ることにより、緑を守り育ててきた人々の生きたあかしを知ることにもなるだろう。 鏡川流域の河辺のあちこちに、「見渡し地蔵」が建てられている。これらの地蔵は水難事故で亡くなった人々を供養したり、人柱伝承の朝倉のお千代地蔵のように、自然の厳しさを今に伝えているものもある。 |
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