土佐史研究家 広谷喜十郎 |
227東大寺と土佐-高知市広報「あかるいまち」2003年3月号より- | |
奈良の東大寺と古代土佐との結び付きについて、前々から興味を持っていた。昨年、奈良国立博物館で開催された『大仏開眼千二百五十年〜東大寺のすべて〜展』、『正倉院展』を見学した。また、東大寺大仏殿建立の最大の功労者・行基上人の墓のある奈良県生駒市の竹林寺をも訪ねた。 行基は七二四年に、高知市五台山の竹林寺を開基した人として知られている。『高知県史・古代中世編』によると、大豊町の豊楽寺(ぶらくじ)、宿毛市の延光寺(えんこうじ)、野市町の大日寺(だいにちじ)など数多くの寺院の建立にも関わっているという。 『高知県史・考古編』で、岡本健児氏は、「東大寺正倉院蔵の大幡(おおばん)が、七五五年に桑原郷から奉納されており、郡司に秦氏の名前が認められるので、現在の吾川郡伊野町八田から春野町弘岡方面は、秦氏と関係があるのではないか」と推測されている。 平成十二年に、愛媛県立歴史文化博物館等で開催された『よみがえる正倉院宝物展』で、「土佐国調白(とさのくにちょうしろあしぎぬ)」が見事に復元されていたのが印象深い。 『東南院文書』によると、七五二年に土佐郡鴨部郷五十戸、吾川郡大野郷(現伊野町、春野町辺り)五十戸を東大寺の封戸(ふこ)とするとある。高知市鴨部地区が東大寺の支配下にあったことが分かる。 十世紀の初めにまとめられた『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』によると、土佐国全体で四十三郷の古代村落があった。土佐郡では、土佐、高坂、朝倉、鴨部、神戸(かんべ)の五郷が記されている。岡本健児氏は高知市神田を神戸郷と位置付けている。 土佐郡の五郷のうち、三郷が朝倉から鴨田方面にあったということになる。その証拠に、この方面には、律令政府が実施した班田収授法により設けられた条理制の地割跡が認められる。また、この時期の記録に郡頭(こおりず)神社の存在も認められる。高知平野の中で開発の進んだ地域だったから、東大寺の支配下に置かれたのであろう。 |
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