土佐史研究家 広谷喜十郎

230 「花咲か」牧野富太郎-高知市広報「あかるいまち」2003年8月号より-
 ことし、四月中旬に神戸市の六甲高山植物園を訪ねてみた。
 市街地から車で一時間ほどの六甲山山頂近く(標高八六五メートル)にある。年間平均気温九度という自然環境の中で、園内にはミズバショウ、フクジュソウ、マンサクなど数多くの花が咲き乱れていた。
 また、日本一広い植物園・神戸市立森林植物園も近くにあり、サクラやコブシなど春の花が満開であり、さまざまの花咲く中での一日を楽しむことができた。
 高山植物園は、昭和八年五月に植物学者・牧野富太郎の指導により開設されたものである。ことしは、開設七十周年に当たり、特別企画展も開催された。

 奥山春季氏が「牧野富太郎と高山植物」(『草木研究史考』)の中で考察しているように、牧野先生は高山植物研究の先駆的な役割を果たし、高山植物に熟知しているからこそ指導を仰いだものであろう。約五万平方メートルの園地には、寒地性植物四百種を含めて千五百種もあり、国内産はもとよりヨーロッパアルプスやヒマラヤなどの珍しい植物もあるという。
 牧野先生は、早くから日本中を花に包まれた世界にしたいと考えていたようである。「明治三十五年。当時まだ東京に多く見るソメイヨシノの桜が、土佐には無かったので(略)其苗木数十本を土佐へ送り其の一部を高知市五台山(略)に又其の一部を我が郷里の佐川にも配った。」(『続植物記』)と、書いている。さらに、「東京全市を桜の花で埋めよ」「日比谷公園全体を温室にしたい」「花菖蒲の一大園を開くべし」「熱海にサボテン公園を作るべし」などと当時としてはスケールの大きな提言をしている。

 晩年の牧野先生の「わたしたちの住む地球は、みどりの植物でおおわれ、美しい花が咲きみだれているすばらしい星です。このすばらしい星に生を受けたわたしたちは大いに感謝しなければなりません。(略)人間の知恵は文明をきずいてきましたが、決して完全なものではありません。(略)ユリの花一つにしろ、スミレの花一つにしろ、とうてい人間がつくりだすことのできない造物主の傑作なのです。つまり人間があたまを下げざるを得ない造化の妙なのです」(『牧野富太郎植物記(一)』)という言葉をかみしめたいものである。    ●ボウブラと牧野富太郎(牧野文庫所蔵)
ボウブラと牧野富太郎(牧野文庫所蔵)


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