土佐史研究家 広谷喜十郎 |
238柴巻の田中良助旧邸-高知市広報「あかるいまち」2004年3月号より- | |
     高知市柴巻には、坂本龍馬ゆかりの田中良助旧邸が現存している。   田中家からは、高知市街やはるか土佐湾までも望むことができる。背後にはヤマモモやイチョウの古木が大きく茂っている。家屋は、がっしりした造りになっており、母屋の軒下には田中家の家紋を付けた軒柱を設けている。周囲には頑丈な石垣を巡らし、入り口にある築山には、サツキの古株もあって屋敷の古さを物語っている。   柴巻方面のかなり広い山林を坂本家が所有していたので、そこは「坂本山」と呼ばれていた。その山番をしていた田中良助の屋敷に、坂本龍馬はよく遊びに来ていたらしく、数多くの話が語り継がれている。母屋には、龍馬が泊まっていた座敷がそのまま保存されている。前の晩に遅くまで大酒を飲んでも、早朝には庭に出て何百回もの剣の素振りをしていたらしい。鋭い気合いの入った掛け声が静けさの中に響き、家人たちはこの声で目を覚ましたという。龍馬はとりわけ碁や将棋が好きだったので、近所の若者たちを縁側から大声で呼び掛けて集め、碁や将棋に興じていた。当時使用された立派な碁盤と将棋盤が保存されている。夏になれば子どもたちと水遊びをしたという池も屋敷内に残されている。   田中家の背後に高くそびえ立つ奇岩は、頂上が平らで「八畳岩」と呼ばれ、龍馬がここからよく遠くを見ていたといわれる。また、近くの山中に「かがり石」という垂直に切り立った岩があり、この辺りで龍馬と良助はウサギ狩りなどもしていたということである。   田中家には、良助の鉄砲打ちの免許皆伝書や鉄砲掛け台もあるから、龍馬が良助から指導を受けていたと思われる。   そのほかにも、龍馬が田中良助から金子二両を借用した直筆の証文や良助が坂本家の山番を務めていたことを示す文書など多数残されている。現在、それらは県立坂本龍馬記念館などに保管されている。   龍馬の借用証文にある「坂本龍馬」と署名された文字は、脱藩する前年に書かれたもので、しっかりした字体であり、政治的に目覚めた龍馬の姿をそこに見ることができる。 |
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