土佐史研究家 広谷喜十郎 |
249風水と高知城-高知市広報「あかるいまち」2005年2月号より- |
このところ、奈良や京都の寺社を訪ねる機会が度々ある。それぞれの地域で都づくりを行った折に「風水」の考えを取り入れて要所に設けられた寺社をよく見かける。 ●掛川神社。社殿の軒下などに、徳川家の家紋「三ツ葉葵」が見られる(薊野中町) 中でも、鬼門にあたる場所には、特に留意したようである。鬼門とは、『広辞苑』に「艮すなわち東北のこと。そこから鬼が出入りするという」と記述されている。 高知城の鬼門に当たる所には、かつて「永国寺」が建立されていた。「御城之鬼門鎮護国家安全御祈祷所として忠義公御代元和年中御草創御城内御仏之御守」(刊本『皆山集』)とあり、元和年代(一六一五〜一六二三年)に建立された。 また、寛永十七年(一六四〇年)、藩主山内家は高知城の鬼門鎮護のため、旧領の遠州掛川から牛頭天王宮を勧請し、薊野に神殿を造営して掛川神社を設けた。牛頭天王は「方位神」の属性があるので、鬼門鎮めの神としてまつられているのである。 掛川神社は、延宝八年(一六八〇年)に徳川家康の位牌殿を設けており、徳川家の家紋である「三ツ葉葵」の使用が特に認められている。また、山内家から刀工・国時、康光作の太刀(いずれも国の重要文化財)が奉納されていることなどから、重要な神社であったことが理解できる。 高知城の西南にある石立八播宮は、「天正十五年長宗我部元親が大高坂城(高知城)に移ったとき、城の守りとして造営した」(橋詰延寿著『高知市史跡めぐり』)とある。こちらは、「裏鬼門」にあたる。 『高知県歴史辞典』の「愛宕信仰」の条ではいくつかの例を挙げ、愛宕神もまた「王城鎮護の役割をなすものといわれる」と述べ、高知市の愛宕神社もそれであると紹介している。 なお、大阪の生国魂神社(通称・いくたまさん)の境内社の城方向八幡宮は、大阪城鬼門の守護神としてまつられている。 奈良市には、南都大寺の一つである元興寺(極楽坊)の絵馬に鬼面が描かれている。尋ねてみると、節分の日に「鬼は内」と唱え、鬼は大歓迎だと言う。この絵馬のしおりには、「元興神(がごぜ)絵馬…厄除招福の御守護として出来ますれば丑寅(東北)の方向におかけください」とある。 |