土佐史研究家 広谷喜十郎

293 寺田寅彦と朝倉神社-高知市広報「あかるいまち」2009年2月号より-

 寺田寅彦の『花物語』の中に、「一夏、脳が悪くて田舎の親類のやっかいになって一月ぐらい遊んでいた。家の前は清い小みぞが音を立てて流れている。狭い村道の向こう側は一面の青田で向こうには徳川以前の小さい城跡の丘が見える」という書き出しで始まる『楝(おうち)の花』という作品がある。

 この親類とは、寅彦の姉の嫁ぎ先の伊野部家のことで、現在も家の前には小みぞがあり、寅彦が見たと同じような雰囲気を残している。城跡とは朝倉城跡のことである。

 『竜舌蘭』では、姉の次男の初節句の祝いの招待を受けて、母親と一緒に出掛けている。田舎の初節句のこと、伊野部家の人びとのこと等きめ細かく描写してあって読み応えのある作品になっている。

 また、『寺田寅彦郷土随筆集』(高知市教育委員会刊)に収録されている『田園雑感』の中に、「郷里からあまり遠くないA村に木の丸神社というのがある。これは斉明天皇を祭ったものだ」という一節がある。木の丸神社とは、朝倉神社の別称である。続けて「この神社の祭礼の儀式が珍しいものであった。子供の時分に一、二度見ただけだから、もう大部分は忘れてしまったが、夢のような記憶の中を捜すとこんな事が出て来る」と述べ、朝倉神社のみこしの渡御のこと、宮相撲のこと、棒使いのことなど祭礼行事を親しみを込めて紹介している。

 さらに、西洋的風潮が強くなっていく中で、「あの親切な情誼(じょうぎ)の厚い田舎の人たちは切っても切れぬ祖先の魂と影とを弊履(へいり)のごとく捨ててしまった」と、大いに嘆いている。

 そして、「そうした田舎の塵塚(ちりづか)に朽ちかかっている祖先の遺物の中から新しい生命の種子を拾い出す事が、為政者や思想家の当面の仕事ではあるまいか」と主張している。

 この作品は、寅彦が大正十(一九二一)年の『中央公論』に発表したものである。単に、郷里の祭礼を郷愁的興味だけで取り上げたものではなく、日本人や日本文化のあり方まで考えての発言である。寅彦は、日本人は日本文化の良さをぼろ切れのごとく捨て去り、あまり縁のない西洋思想を安易に取り入れ「伝来の家や田畑を売り払って株式に手を出すと同じ行き方」をしていると、憤慨している。

国の重要文化財に指定されている朝倉神社の本殿(朝倉丙)

●国の重要文化財に指定されている朝倉神社の本殿(朝倉丙)


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