朝倉地区にある宗安寺の不動堂には、国の重要文化財である不動明王、持国天王、増長天王の像が安置されている。
元禄二(一六八九)年、住職の祖文はこれらの仏像と不動堂の成り立ちについて、『宗安寺不尊記』に漢文でまとめている。その読み下し文によると、「この明王は昔は領家横(矢)にあったのだが、その後、村に水が丘にまでのぼるほどの大洪水があり、この尊像が渓流に沿って流されて、この村に止まった。時の村人が御堂を作ってこれを安置した」とある。
その昔、不動明王像が鏡川上流の横矢集落にあったが、大洪水によって現在地の近くに流れ着いたため、村人たちが不動堂を設けて安置したというのである。
江戸時代後期の『南路志』の領家郷横屋村の条にも「不動堂跡縦横九尺許伝言不動堂為洪水(略)後移干宗安寺」と、記述されている。
『鏡村史』横矢村落の箇所には「不動堂跡通称不動バエといわれている。横矢集落からほど遠く、的淵川の上流沿いにある(略)現在は堂祠の面影はとどめてなく、地名として伝えられている程度である。この不動堂の奥ノ院が坂口字タキノクビにある」とある。奥ノ院については、「不動が滝」の条に、「十数メートル四方にわたって大小の岩石の露出している所があり、そこを不動が滝と称している(略)岩石の状況から一見して行者の行場であることが分かる。その中の一つに高さ一〇メートルほどの岩の裂け目があって(略)そこに不動明王の石像があり(略)この滝は現高知市宗安寺の『川上不動尊奥ノ院』と古くから言い伝えられているから、行者の姿が見られていたのは随分と昔からのことであろう」と述べられている。また、梅ノ木集落にも不動が滝があり、ここも川上不動尊の鎮座地であるとの伝承が紹介されている。
これらのことから、鏡川上流に位置する領家郷あたりでは、山岳宗教の不動明王信仰が深く浸透していたことが理解できる。
『高知県の近世社寺建築』(高知県教委)によると、現在の不動堂は幕末に再建されたもので、宝形造りで県下でも数少ない禅宗系の三間仏堂になっている。
●国の重要文化財に指定されている
不動明王坐像(宗安寺蔵)