土佐史研究家広谷喜十郎 

298 弥太郎の少年時代(一) -高知市広報「あかるいまち」2009年7月号より-

 来年、NHK大河ドラマ「龍馬伝」が放映されることになり、龍馬ファンの一人として今から楽しみにしている。

 「龍馬伝」は、三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の視点で描写されると聞く。幕末の時代、海を舞台にして活躍した人々に郷土出身の龍馬、弥太郎や中浜万次郎がいたので、これらのつながりで高知を大いに盛り上げてもらいたいものである。

 岩崎弥太郎は、天保五(一八三四)年十二月十一日に安芸郡井ノ口村一ノ宮で地下浪人・岩崎弥次郎の長男として生まれた。「地下浪人」とは、四十年以上郷士職にあった者で、後に郷士の株を売却した者に許可されていた呼称である。

 岩崎家の先祖は、『岩崎弥太郎伝(上)』の中に「甲斐源氏の末裔(まつえい)」の一節があり、武田家であるといわれている。

 武田家から岩崎家に分かれたのは、鎌倉時代の初めで、甲斐国(山梨県)から阿波国(徳島県)板野郡吉田(現在の阿波市土成町吉田)に移住した。

 さらに、その子孫である岩崎信寛の時に、土佐の安芸にやって来て、安芸忠国に仕えたという。岩崎家が、武田家の流れをくんでいることは、三階菱の家紋を使用していることからも理解できる。

 なお、この家紋がおなじみの三菱マークであるスリーダイヤになるのは、明治時代以降のことで、土佐藩主山内家の家紋である三葉柏になぞらえて、三階菱を変形させて作ったといわれている。

 岩崎弥太郎は、少年の頃から海へ乗り出すことを夢見ていたという。彼は、生家の背後にある妙見山によく登り、その頂上から眼前に広がる太平洋を眺めながら、広い世界へ出て大きく羽ばたくことを決意したともいわれている。

 生家は、昔のままに保存されているが、そこの表座敷の庭には、日本の古称である大八洲(おおやしま)になぞらえて、四国、北海道、本州、九州をかたどった庭石が配されている。いかにも豪快な弥太郎好みの独特の庭である。天下に雄飛したいとの彼の願望を織り込んだものといえよう。弥太郎は、この家に十八歳ごろまで住んでおり、生家は今も当時の面影をとどめている。

それぞれを並べると共通点が認められる(三菱の商標は許可を得て掲載)

●それぞれを並べると共通点が認められる
(三菱の商標は許可を得て掲載)  

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