土佐史研究家 広谷喜十郎 |
179 はりまや橋界隈(かいわい)(五) -高知市広報「あかるいまち」1998年9月号より- |
大正13年(1924年)11月15日、高知線(須崎〜高知)の終着駅として高知駅が開業したのに伴い、翌年にはりまや橋が改修されて幅18mの橋となった。 さらに、昭和3年(1928年)には駅と潮江桟橋とを直通する道路が開通したので、潮江橋も大幅に改修して電車の専用橋を取り除き、橋上に軌道を設けて高知駅前からはりまや橋を通過する電車線が開通した。 これがきっかけとなって、それまでの潮江橋北詰から堀詰を結ぶう回線が不用となり撤去され、交差点を堀詰にとって代わってはりまや橋に移しかえ、同時に東西、南北路線の原型が出来上がり、市の中心部となった。 そして、この付近が市内一番の繁華街の様相を呈するのであった。 リニューアルされ、観光客などでにぎわう現在のはりまや橋▼ この時期に潮江港にも大きな変化が認められる。 明治30年(1897年)ごろに、この地区にできた岸壁は、乗り降りに鉄製の「浮き桟橋」を利用していたが、昭和2年に浦戸港が重要港湾に指定され、昭和初期に国の手で大型船を横付けできる岸壁が造成された。 同13年には浦戸港は高知港と改称され、同18年には三千トン級の船舶の出入りが可能になっている。 高知県民の永年の悲願であった四国山地を越える土讃線が開通したのは昭和10年(1935年)9月11日のことであった。これに備えて同6年に24mの橋としてはりまや橋を改修している。 それに、これを祝賀して開催された南国土佐大博覧会は、同12年3月22日から5月5日までの45日間、44万人の入場者を数え、大いににぎわった。 当時、高知市の人口は11万人だったので、そのにぎわいぶりは大変なものであったと思われる。 戦後の復興期に改修されたはりまや橋は、昭和25年(1950年)3月に長さ20m、幅37.1mに拡張され、朱塗りの欄干は、同33年の南国高知総合大博覧会の折に設けられたもので、昭和40年2月に改修されたあと、毎年2月の高知県の「観光びらき」を前にして化粧直しが行われていたのである。 |