土佐史研究家 広谷喜十郎

182 田 中 英 光 -高知市広報「あかるいまち」1998年12月号より-
 先月紹介した岩崎鏡川の次男が、作家として有名な田中英光(ひでみつ)である。
 同郷の田中光顕伯から「光」の字をもらい、英光と命名され、母が田中家の一人娘だったので、田中家へ名義だけの養子入りして、田中姓を名乗ったわけである。
▼田中英光(撮影:林 忠彦氏)田中英光(撮影:林 忠彦氏)
 田中英光には『オリンポスの果実』という名作がある。
 英光は昭和7年にアメリカのロサンゼルスで開催された第10回オリンピックにボート選手として出場している。

 この行き帰りの船中での、さわやかな恋の体験をもとにして、後に小説化したものである。
 この大会に出場した高知県人の相良八重女史(高知市)は女子走り高跳びで9位の成績を得る活躍をしているが、実は英光の清純な恋の相手が彼女だった。
 父祖の地から来た土佐の女性に船中で知り合えた喜びが、英光の淡い恋に発展させたといえるかもしれない。

 彼女との出会いの瞬間を小説の中で、

「みじんも化粧せず、白粉のかわりに健康がぷんぷん匂う清潔さで、あなたはぼくを惹きつけた。あなたの言葉は田舎の女子学生丸出しだし、髪はまるで老嬢のような、ひっつめでしたがそれさえ、なにか微笑ましい魅力でした (略) そこに(熊本秋子、二十歳、K県出身、N体専に在学中、種目ハイジャムプ、記録一米五十七)と出ているのを、何度も読みかえしました。なかでもK県出身とある偶然が、嬉しかった。ぼくもK県といっても本籍があるだけで、行ったことはなかったのですが、それでも、この次、お逢いしたときの、話のきっかけが出来たと、ぼくは嬉しかった」

と書いている。

 お互いに高知県人であることを名乗り親しみを増すのであるが、この時に彼女が、ヨサコイ節を歌い、さらに踊り出す場面が感動的に描写されている。
 なお、この大会で弱冠十四歳の北村久寿雄(高知商業)が千五百メートル自由形の水泳競技で優勝して、世界中をあっと驚かせている。

 田中英光は、昭和10年5月に初めて土佐の地に足を踏み入れている。その時の印象を『桜』という作品でまとめている。なお、英光の次男が作家田中光二氏で、冒険小説・SF作家として現代の文壇で大活躍をしている。

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