はるの昔ばなし

ご神体は北向き

 

ご神体は北向きイラスト

 荒倉〔あらくら〕山の麓〔ふもと〕にある荒倉神社は天闇龗大神〔あめのやみたまたつのかみ〕を祀ったもので、天正年間、大野郷弘岡村と言っていた頃からの郷内の総鎮守〔そうちんじゅ〕でありました。

 この荒倉山は、昔は猪・鹿・うさぎなどがたくさんいましたが、『お止め山』といって一般庶民は狩猟に入ることは出来ず、お殿様だけの狩り場となっていました。この神社の西の方が狩り場の終点といったところで、山狩りの時、勢子〔せこ〕に追わして来た獲物を待ちかまえて撃ち止める場所になっていました。殿様や側臣〔そくしん〕たちはここで見物したわけです。

 二代目藩主忠義〔ただよし〕公は狩が好きで、たびたび各地の狩猟場へ出掛けました。ある年、側臣や勢子を多数連れてこの荒倉山に来ました。

 この日は獲物がたくさんあり、忠義公はたいそうごきげんでありました。さっそくこの神社の馬場先で獲物を料理しました。ところがその肉はなんぼ煮ても軟かくなりません。煮ても煮ても煮えないというわけです。家来たちは

 「これは神前をけがしたからではないか。」

と話し合っていました。忠義公はこれを聞いて

 「領内のことはすべて藩主の意のままになるものだ。気に食わねばご神体を北向けにしておけ。」

と言われました。

 このことがあってから、荒倉神社では、社殿は南向きでもご神体は北向きにしてお祀りするようになったといわれています。

 土佐には大小五千近い神社があり、その大方は南向きで、東向き或は西向きのものも少しありますが、荒倉神社のように社殿に対してご神体が反対向きというのは例がないようです。ちなみに、今の本殿は明治七年、幣殿は天保十年、拝殿は大正十三年の改築になったものです。


お止め山…「御留山」ともいいます。

 

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