はるの昔ばなし
北山の大蛇
弘岡下〔ひろおかしも〕、北山の奥に箱谷という谷間があります。三助さんは毎日北山の家を出て、箱谷へ畑仕事に行っていました。六十幾つという年でしたが大変元気な人でありました。
ある日のこと、歩きなれた山道をずんずん歩いて行きましたが、どうしたことかなかなか自分の畑へ行き着きません。ふだんの二倍程歩いて、やっとたどり着きました。
それから少し時間がたって、まだどれ程も仕事が出来ないうちにすっかりくたびれてしまいました。三助さんは一休みしようと思い、あたりを見回しました。丁度畑の隅に大きな松の木が倒れていたので、これ幸いとそれに腰を掛けました。
三助さんは腰から胴乱〔どうらん〕を取り、煙草〔たばこ〕を一服つけました。二服、三服と吸っているうちに、きせるが詰まったことに気が付きました。小枝の先でやにを取り、ぽんとそこへ捨てました。
その時です。腰掛けていた松の木がむっくりと動きました。松の木と思っていたのは、胴回り三尺(一メートル程)もあろうかという大蛇〔だいじゃ〕であったのです。――のたうち回る大蛇。驚いたの驚かないの、三助さんは転げるようにして箱谷を駈け下りました。
どこをどう走ったかわかりません。円い板笠をかぶっていましたが、いつ飛んでしまったか台だけが頭に残っていました。汗びっしょり、息もたえだえで家に着きましたが、そのままばったり倒れてしまいました。
二日二晩高い熱が続いてうなされ通しでしたが、三日目にやっと口がきけるようになりました。しかしすっかり人相が変ってしまって、孫娘のおとらは近寄ろうとはしませんでした。
三助さんは、その後というものすっかり気が抜けたような人になり、家にばかり閉じこもっていたそうです。
三助さんの息子の熊吾さんの時に世は明治となりました。今、三助さんから五代目に当る人が北山に住んでいます。
胴乱…どうらん。もともとは小型の携帯用たばこ入れもしくは銭入れとして使われていたものです。のちには大型化し、今日のカバン的な役割を果たすようになりました。