はるの昔ばなし
宇賀の長者
戸原〔とばら〕の東のはしに名村〔なむら〕の鼻というところがあります。大昔、それも言い伝えられる黒田郷が大地震で沈んでしまったというそのまだ前の大昔、戸原から長浜にかけての広い一帯を屋敷に持っていた大長者がありました。宇賀の長者と呼ばれる人であります。
この人がまだそれ程えらくなっていなかった頃のこと、飼っていた牛がたびたび小屋を抜け出します。一日に何回となく名村の方へ行くので不思議に思って後をつけてみました。すると牛は名村の西脇にある泉の水を飲んでいることがわかりました。長者がそれを飲んでみるとまるで甘酒のようにおいしいものでした。
それからというものは長者も毎日その水を飲み、年月を重ねるうちに遂に土佐第一の長者になることが出来ました。
さて、この長者がある年伊勢まいりに出掛けました。お伊勢様は日本一のお宮というので、さぞ大きいお社であろうと期待して行ったのですが、行ってみると思いのほか小さく質素なお社でありました。
「これは自分の家の便所ほどもないわい。」
と軽べつして帰途につきました。
手結〔てい〕山の峠まで来ると、西の空がまっ赤です。天をも焦がす大火事でありました。一日一晩燃え続けて、さしもの大きな邸もすっかり灰になってしまいました。
悲劇はまだありました。長者には一人の美しい娘がありましたが、長者が伊勢へ行っていた留守の間に、素性〔すじょう〕怪しい山伏と深い仲になっていました。娘はまた、次に現れた優男〔やさおとこ〕とも通じたので山伏の方が大怒りです。
娘と優男とは逃げました。御畳瀬〔みませ〕の山を越え福浦へ出ました。山伏はどこまでも追って来ます。前は海後ろからは山伏、せっぱ詰った二人は相抱いて海に身を投げました。追い迫った山伏も波に呑まれて果てました。福浦三社はこの薄命の三人を祀ったものと言われています。
黒田郷…くろだごう。かつて土佐湾沿いにあったという集落です。白鳳の大地震で沈んだという伝説があります。
西の空がまっ赤…手結山は高知県東部にあるので、ここから春野は西にあたります。
福浦…御畳瀬は春野の東、浦戸湾の西側に面した地域です。「福浦」の所在はわかりませんが、浦戸湾に面した地域とみられます。
福浦三社…のちに「深浦神社」という名称になったといいます(『土佐伝記全集』より)。浦戸湾の東側に面した深浦という地域にあるとのことです。