はるの昔ばなし
七村様
森山上部落の中程に鍛冶〔かじ〕屋敷というところがあります。そこに七村様(ななむら様)という小さいお宮があります。昔は樟の大木が茂って中は薄暗い程でありましたが、今はそのあと植えの樟が茂っています。
七村様というのは、室町時代に仲村郷の西半分の七ヵ村(森山――中島村を含む、仁ノ、西畑、秋山、甲殿、木塚、西諸木)の代官を勤めた、森吉右衛門尉〔もりきちうえもんのじょう〕〔もりきちうえもんのじょう〕という人を祀ったお宮です。社殿が傷んで来たので数年前に、子孫に当る森衛敏・森一郎・森恒美の三氏が建て直しました。
二百年余り前、吉右衛門尉の後裔である襲名の森吉右衛門が森山村の年寄として顔をきかせていました。ある年、この吉右衛門が洪水の時の流木の樟を、台風で折れた七村様の樟の枝と一緒にして自分の屋敷においていました。これを知った近くの庄屋の塩田某が藩へそっと知らせました。藩の役人は「年寄にあるまじき云々」というわけで吉右衛門を罰し、庄屋塩田某には褒美〔ほうび〕として全部の樟を与えました。
塩田某がその樟の枝を竈〔かまど〕にくべたところ、煙の中から大きな坊主〔ぼうず〕が現れたので大騒ぎになりました。樟の枝は神様の吉右衛門尉の物、藩からお咎めを受けたのは今の吉右衛門、というわけで、塩田一家は後のたたりを大変に恐れました。
こうしたわけで、塩田一家ではその後お盆の送り火を一晩よけいに焚くようにしたといいます。
森山には、今塩田姓の家が二十何軒ありますが、そのうちの何軒かが、十四日の迎え火十五日の送り火の次にもう一晩よけいに法界の火を焚くことを続けています。
もともとこの七村様はたたりのきつい神様だといわれていますが、特に頭や足にたたるそうです。今ある三本の樟は高さが五メートルくらい、枝が回りの田んぼにかげるので、数年前森衛敏さんが大枝小枝を伐りました。
「神罰のことですか。私もこれを伐りよっておおごとになりましたよ。梯子〔はしご〕が倒れて一か月入院というけがをしました。」
と笑いながら話してくれました。
中島村を含む…現在の土佐市中島のことです。中島は、春野からみれば、仁淀川対岸にあたりますが、江戸時代は春野と同じく吾川郡に属していました。
木塚…きづか。現在の春野町西分地区のことです。