はるの昔ばなし
闇にとびかう矢
闇夜の、しかも丑満〔うしみつ〕どき、ビョウ!ビョウ!と、弓矢の矢音が飛びかうという話が森山にあります。
森山のほぼ中央、森山農協の裏には、もっこり立木が生い茂る小山があります。森山城の城址〔しろあと〕です。そして弘岡上にもそういう城址があるわけですが、戦国のならいとして、ごく身近な者が、血で血を洗う、骨肉相食んだ歴史がどこにも刻まれており、それゆえ、そこには幾千幾万の、おどろおどろした戦さ人の、あるいは里人の、怨念が漂よっているともいわれています。
このあたりの諸城は多くは吉良氏の勢力下にありましたが、天文年間一条氏が芳原、西畑、仁ノ、森山の諸城を従がえました。弘治年間これらを本山茂辰が攻めとりましたが、この時森山城を囲んだ本山勢は六百余騎。城兵よく防ぎ死体が城中にみちたが一人も降伏する者はなかったといわれています。本山勢も戦死が三百余であったといい、森山一帯の田畑には昭和中期まで石積みの塚がたくさんありました。
二十年程前、森山農協の近くに住んでいた池さんは、縫いものをしながらつい夜を更かし、真夜中を過ぎた頃になって思わず耳をふさぎ、何となくぞんぞんされたそうです。
深閑とした闇の夜、自分の息づかいが聞こえるような静寂の中で、かすかに、ビョッ、ビョウーと、飛びかう矢音が聞こえ、それが森山城と、弘岡上の間で矢が飛びかう音だったというのです。
なお城址の立木をうかつに伐ったりすると、その立木が倒れた方角で大火が起こるともいわれ、昔のきこりは非常に恐れたということです。
喧噪〔けんそう〕が普通になった現代では、もう弓矢の音も聞こえないかもしれませんが、このあたり一帯がかつては戦場であったということは知っていてほしいものです。
そういう城址…吉良氏の居城といわれる吉良城跡を指しているとみられます。