はるの昔ばなし
ふるそまさん
春野町の西のはし、弘岡上の部落に行当〔ゆきとう〕というところがございます。
漢字で行き当りと書いていますが、小さいながら堅い堅い岩山が立ちふさがっていて、本当に行き当りになっているのでございます。野中兼山が掘削〔くっさく〕した有名な切り抜きは、この行き当りの横手にございます。
「わしらがこどもの時分にゃのう、ここを上がって八田の方へ越しよったわよ。」
と、七十そちこちの人が話す通り、切り抜きに道路が通るようになったのは、割合い近頃になってからのようでございます。
もっとも、ここを行当と言うようになったのは藩政も終りに近い頃でありまして、それまでは入江といっていたようでございます。多分、大昔仁淀川がここまで曲がりこんで流れていて、入江のようになっていたからでございましょう。
※ ※ ※ ※この話は、そういう大昔の出来事でございます。
人家もぼつぼつしかなかったこの入江の里に、一人の流れ者が住みつきました。歳の頃は六十余りでしょうか。どこから来たのか、名前は何というか誰も知りません。ただ七つか八つくらいの女の子を連れていたのが人目を引いておりました。
この男は毎日山へはいっては木を伐り出し、里の人びとに与えたりしていました。それで人びとは、この木こりを『ふるそまさん』とよんでいました。
ふるそまさんは連れている女の子を大そう可愛いがりました。山へ行く時も、いつもこの子を連れていました。晴れた日には、北の方の山でカーン、カーン、と木を伐る音がして、里の人たちも
「ふるそまさんが、きょうも元気でやりよるよ。」
などと話し合ったものでした。
ある夏も終り近い、夕方薄暗くなった頃合いでしたが、一人の旅人が坂を越えてこの部落にはいりこみ、ふるそまさんの家に立ち寄りました。――旅の人から貰った酒に、ふるそまさんはしたたか酔ってしまいました。そうしてぐっすりと寝てしまったのです。
夜なかになってふと目をさましてみると、確かに横で寝ていたはずの女の子がおりません。「しまった!」とふるそまさんはとび起きました。月明かりの中を必死になって捜しましたが女の子はどこにもいないのです。
あくる日も、そのまたあくる日も山の中を捜しまわりましたがさっぱりわかりません。
「おうい、おうい。」
というふるそまさんの声が一日中林の中で響いておりました。
いよいよどこにもいないとわかると、ふるそまさんは気が狂ったようになりました。そこら中の木という木を手当りしだいに伐り倒しました。カーン、カーン、という斧の音が、人びとの胸に悲しそうに響きました。
ある日、斧の音がぱったり止みました。里の人が山の中へはいってみると、ふるそまさんは自分の伐り倒した大木の下敷になって死んでいました。
――今でも、夏のよく晴れた晩、山の方に向かって「ふるそまさーん。」と呼んでから耳をすましていると、かすかに、
カーン、カーン、
という斧の音が聞えて来るということです。
(S54年NHKより放送)