はるの昔ばなし
ヒルマンぼうず
東諸木の池の上から西戸原へ行く道――これは今でも随分曲がりくねった道ですが、昔はもっともっと曲がっていたようです。
明治になって間もない頃の話です。ある夜更け、一人の婆さんが西戸原の方へ帰っていました。西側は甘蔗〔かんしょ〕が背丈以上にも伸び茂り、時どき風がざわざわと歯をゆすり、そのさびしいことったらありません。
婆さんはほんの足元だけを照らす提灯〔ちょうちん〕をたよりに、「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」とつぶやきながら歩いていました。
曲がり角を幾つか曲がった時、何かが後ろからついて来るように思いました。ふりかえってみると十才位とも見える子どもが立っているではありませんか。おかしいなとは思いましたが、怖さ半分に「坊はどこへいぬるぜよ」と聞いてみました。子どもは何の返事もしません。婆さんはふるえ声で「なむあみだぶつ」を唱えながら急ぎました。小さい黒い姿はこんどは婆さんの袖の下をぬけて前に出ました。それからは前を歩いたり後ろを歩いたり婆さんにつきまとうようにして歩きます。
やっとのことで甘蔗畑のはずれまで来ました。西戸原の家はもうすぐです。
「坊よ、もどったぜよ。だれはせざったかよ。」
と声を掛けましたが、やはり子どもは何も言いません。
大川の橋を渡り終ったとたん、はじめてその子どもが
「このお婆は妙なことを言う人じゃよ。」
と言いました。婆さんがふりかえると同時にボチャン!という音がして、子どもの姿は川の中へ消えてしまいました。
婆さんはがたがたふるえながら自分の家へとびこみました。家でこの話をしたらおじいさんが
「そりゃヒルマンぼうずというものじゃ。なんぼかこわかったろう。」
と言いました。
いぬる…去ぬる。土佐弁で「帰る」という意味です。
だれはせざったかよ…「だれる」は土佐弁で「疲れる」のことです。「疲れませんでしたか」という意味になります。