はるの昔ばなし
お藤さま
これは仁ノ〔にの〕に伝わっている誠に哀〔あわ〕れな話です。お藤〔ふじ〕という大変美しい娘が、その美しさの故に人に嫉〔ねた〕まれ、主人に殺されたという話です。
昔、仁ノの西谷というところに、それはそれは美しい娘がおりました。昔から髪は女のいのちとされ、丈なすみどりの黒髪は何物よりも大事にしたものですが、お藤の髪は村中第一という美しさでありました。お藤自身もこの美しい黒髪を持って生まれたことを幸せに思い、この黒髪を誇りにも思っておりました。
村の西谷というところに、岩目地という郷士の家がありました。お藤の美しいことを聞いた主人は、侍女〔じじょ〕として召し使いたいと思い、両親のところへ使いを遣しました。お藤は自分では気も進みませんでしたが、郷士の威勢〔いせい〕を恐れた両親の説得に負けて、とうとう奉公に上がることになりました。
お藤はもともとしとやかでまじめな娘でしたから、毎日よく働きました。美しい上によく働くので、主人や奥方からも特別に可愛がられるようになりました。
こうなると、いつの世にもあるように、たちまち奉公人仲間から嫉まれるようになりました。とうとうお藤の陰口を言う者が出て来ました。
「お藤さんは、ゆうべご主人の大事な話を立ち聞きしていました。」
という言い上げです。丁度〔ちょうど〕主人夫婦は、その晩聞かれては困るような話をしていたものですから、この言い上げを聞いて大そう腹を立てました。
「お藤、お前はゆうべこの前を通ったであろう。」
「いいえ、通りませぬ。」
「俺達の秘密話を聞いたであろう。」
「いいえ。」
でも主人は聞かれたと思いこみ、
「うそを言うと命はないぞ。さあ、髪が惜しいか命が惜しいか。」
と詰め寄りました。
「髪も命も惜しうございます。どうかおゆるし下さい。」
と、お藤は必死で頼みました。
「まだしらをきるか。」
と言うが早いか、さっとひらめいた一刀のもと、あわれ、お藤の首は落されました。
その時、乙女の最後の一念と言いましょうか、その頭は空へ舞い上がり、向こう側の山裾〔すそ〕の岩にかみつきました。村人達はこれを大変哀れんで、そこに小さなお宮を建て、<お藤さま>と呼んで丁寧にお祭をしました。そうしてその祠〔ほこら〕のそばに松の木を植えました。その松は大きくなるにつれて、お藤の髪を思わせるような枝ぶり美しい大木になっていきました。
<お藤さま>の松の木は大正の初めまでありましたが、第一次世界大戦の時分に、造船熱の高まりにつられた心ない人びとの金儲〔もう〕けのために、根元から伐り倒されました。伐った人は鷲尾山の方の人だということですが、伐り倒した時、なんと伐り口からまっ赤な血潮がふき出したといいます。そして伐った人は家へ帰る途中で早くも熱病に罹〔かか〕り、死んでしまったそうです。
岩目地でも、あの事から後、つぎつぎと悪い事が起こったということです。明治・大正時代には、切った髪を供えて<お藤さま>を拝んでいる人の姿がよく見られました。今も仁ノの西谷には、竹薮〔たけやぶ〕に囲まれて小さい祠が人びとの信仰を集めています。
郷士…ごうし。江戸時代の武士における階級のひとつです。一般的には農村に居住している下級武士を指します。
鷲尾山…わしおやま。春野の北東部に位置する山。