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高知市春野郷土資料館外観

はるの昔ばなし

やつら様の鏡餅

 

 やつら様は漢字で書くと八面様です。やつら様の例祭は毎年十一月十日ですが、この時のお供え餅が少し変っています。一升餅を楕円形に丸め、前に四本後ろに四本の細長い餅をくっ付けたものです。

 やつら様というのは、荒倉神社の祭神天闇龗大神〔あまのくらたまのおおかみ〕の随神〔ずいしん〕を祀ったお宮で、終戦の頃まで荒倉神社の西側の山際〔ぎわ〕に社殿がありました。天闇龗大神は大の獣肉ぎらいの神様ですが、このことを知らなかったことから一日大椿事〔だいちんじ〕が起こったのです。

 時は応永の頃、今から五百六、七十年も昔です。きょうはやつら様例祭の日。折りよくすばらしい秋晴れで、荒倉の里は老若男女でにぎわっていました。

 さて、晴れのみこし担〔かつ〕ぎは里の若者八人です。いずれも猟自慢を物語る猪の爪を腰にぶら下げていました。みこしの列が百メートル程進んだ時大変な事が起こりました。やつら様の上の方、吉良が峰の中腹から、畳四枚分程の大石が落ちて来たのです。

 声を上げる間もありません。大石は見物の人びとの鼻先をかすめてみこしの担ぎ棒にドシーン!八人はみこし諸共すっとびました。もう祭どころではありません。上を下への大騒ぎです。

 八人の犠牲者を出したこの惨事は、何年たっても人びとの胸から消えませんでした。毎年巡って来る例祭の日のお鏡餅は、この時から形が変えられました。楕円形のお餅につけた前後ろ八本の紐形のお餅は、八人のみこし担ぎをなぞらえたものです。この大餅のそばには九十六個の小餅が添えられるのですが、これはあの日集まっていたお供衆〔ともしゅう〕を表したものといわれています。

 この仕来りは今もずっと続けられ、毎年吉良神官によってこの変ったお餅が供えられているそうです。落ちて来た大石は長い間南の方の道路脇にありましたが、昭和の初め、耕地整理の時発破で割り、のけてしまったそうです。今もそのところを人びとは『みこいし』と呼んでいます。

やつら様の鏡餅イラスト


応永…おうえい。1394~1428年。

発破…はっぱ。土木工事などで火薬をしかけて岩石を割ることです。

 

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