はるの昔ばなし
てじが谷の火玉
諸木方面から高知の城下へ行くには、昔は内ノ谷のてじが谷(今の大規模農道の西側の谷)を通るのが本道となっていました。
慶応元年の秋、このあたりに夜な夜な火玉が出るといううわさが立ちました。火玉は鷲尾〔わしお〕山の中腹から出てそのあたりをさまよい、それから城下の方へ飛んで行くというのです。
たまたま、諸木の某が城下から帰る途中でこの火玉にあい、その場で急死するという変事が起こりました。某の葬〔とむ〕らいを執り行なった諸木乗林寺の住職は
「浮かばれない霊があるなら、行ってしずめるのが僧侶の務め。」
と、夜中に鷲尾山に出掛けました。
夜も更けて冷気はひしひしと身にしみ、草木も眠るかと見えた折り、住職の前に白衣の美女が現われました。
「成仏出来ぬについてはわけがあるであろう。回向して進ぜる故くわしく話してみなさい。」
とたずねました。
女の話によると、この女は本町の商家の娘で、帯屋町のお大家の息子源次郎と懇〔ねんご〕ろになり、たびたび逢瀬を楽しんでいたが、一月程前鷲尾山で出会った折り、急に病いを発し、源次郎に抱かれて息を引取ったというのです。
「源次郎は初めは私を介抱してくれていましたが、私が死んだとわかると私の頭からかんざしを抜き取り、早くもこしらえた別の女に与えたのでございます。」
と言い、彼の女はさめざめと泣きました。
一部始終を聞いた住職は、早速城下へ出掛けて源次郎を探し、かんざしを取り返しました。そうしてお経一巻と共に、彼の女が息を引取ったという場所に埋め、懇ろに供養をいたしました。それから後はもう火玉は出なくなったといいます。
回向…えこう。死者のための冥福を祈ることです。