フランスで出会った二人が高知で暮らす
東京で開業していたフランス料理店が入っていたビルが建て替えることになり、移転を余儀なくされた松原さんご夫妻。東京での移転・開業を考えると同時に、高知を含め、ほかの場所での開業も考えていた。「移転話が出たときに、ちょうど娘の花奈が生まれて、東京では食や保育所の問題など、いろいろなことを考えると子育てはしづらいと思いました。そんな中で、高知は親切な人は多いし、いい食材も手に入るので、仕事の環境としてもいいと思い、高知に移住することに決めました」と浩二さん。
奥さんの香奈美さんは「最初、移住して自分たちが馴染んで暮らしていけるのか不安もありましたが、子どもができたので東京を離れることは賛成でした。主人と一緒にいろんなところを見て回った中で、高知が一番良かったので、納得して来ることができました」と話す。
神奈川県出身の浩二さんと、三重県出身の香奈美さん。二人が出会ったのは、お互いにワーキングホリデーのビザで訪れていたパリでのこと。帰国後、結婚。浩二さんはフランス料理店、香奈美さんは外資系企業に勤めていたが、2010年に浩二さんが独立。夫婦でフランス料理店を開業し、二人で店を切り盛りしていた。
本当に欲しいものは地方にある
「開業してから、自分の店と同じような価格帯のレストランは、どんな食材を使っているのか気になって調べてみました。そして、フランス料理に使える肉食材を卸している業者は少なく、食材のバリエーションが少ないことに気付きました」。
この状況に危機感を感じた浩二さんは、自ら食材の仕入先の開拓を始めた。インターネットや専門誌を調べたりする中、高知にはシカやイノシシが多く棲んでいそうだからと、高知県鳥獣対策課にも相談し、大豊町にある食肉加工場を紹介された。この経験から「東京じゃないと満足いく食材は揃わないんじゃないかと思っていたけど、本当に欲しいものは地方にあると気付きました」と話す。
東京を離れ、2016年2月に高知市に移住。開店準備が整うまでレストランでアルバイトをして、5月、高知市追手筋にフランス料理をベースにした肉料理屋をオープンさせた。あえて肉料理としたのは、もともと高知は魚が美味しい店が多いだろうから、そこで勝負をせず、仕入先を切り拓いた肉料理で特色を出していこうと考えたためである。
開店にあたり、知り合いも少なく、高知のお客さん一人あたりの飲食代の平均的な金額や商売の感覚が分からず、不安もあったが、アルバイトをしていた店のオーナーの紹介などもあり、今は店も盛況だそうだ。
子育てから得た経験を広げたい
香奈美さんは、花奈ちゃんが小さいうちは、店に立ちづらくなったが、一方で新たなスキルを身につけた。その一つが「ベビーウェアリングコンシェルジュ」。布一枚だけでできる抱っこ紐を使って、赤ちゃんも自分も楽にだっこやおんぶをする方法を伝授するアドバイザー。もう一つが、場所を選ばず気兼ねなく授乳できる授乳服の販売である。「子どもが生まれて、生活ががらりと変わった中で出会っただっこの方法と授乳服です。おかげで育児がとても楽にできるので、一人でも多くの人にお伝えしたいと思いました」と香奈美さん。ベビーウェアリングと授乳服の良さを伝えるこれらの活動を高知や四国で広げていくために、イベントを主催するなど積極的な活動に取り組んでいる。
この街の規模がちょうどいい
「仕事と趣味をあまり区別していない」という浩二さん。「休日は大豊町の食肉加工場を訪れて、解体の手伝いや加工品の作り方を伝えたり、近くの畑を借りて野菜をつくったりしている」と言う。そのほかの休日は、できるだけ家族と過ごすようにしているそうだが、土佐あかうしの肉や野菜など、これまで使ってこなかった食材を探しに県内のあちこちにも出かけることもあるそうだ。「将来的には、食肉製品製造業をやっていきたい」と考えている。
「高知は暮らしやすい」と口を揃える二人。「無農薬だったり、いい食材が簡単に手に入り、生産者が近い」と浩二さんが言えば、「人も多すぎず、自然も近くて、この街の規模感はいいと思います」と香奈美さん。
仕事や集まりを通じて知人も増え、スタートしたばかりのこうちらいふを楽しんでいる。
移住後に気づいたQ&A
Q. 高知は遊ぶ場所が少ないといわれますが。
A. 都会的な遊びを求めるなら高知はお勧めでないかもしれません。でも、高知は自然も近いし、環境もいい。自然を楽しむには最適な環境ですね。
Q. 高知で仕事をしていく上での難しさは。
A. 自分が受け身になって、面倒を見てもらおうと思っていると、仕事が合っていなかったり、経済的に厳しかったりすると思います。でも、自力でやっていこうと主体的になれば、いろんなネタは転がっているし、道を切り拓いていけると思いますよ。
Q. 見知らぬ土地で暮らす不安はなかったですか。
A. 二人とも、もっと田舎や外国で住んでいた経験があります。それに比べたら日本語は通じますし、都会から1時間ちょっとで来ることができますので、遠くに来たイメージはないし、それほど不安もなかったですね。