最低限の都市機能とすぐそばの良好な自然。
東京の大手出版社で働いていた黒笹慈幾さんは、アウトドア雑誌「BE-PAL」の編集長をはじめ、現役時代は仕事で日本中を回り、趣味の釣りも楽しんでいた。そして定年退職後に訪れる、仕事も遊びも存分に楽しめるプレミアムな時間を、自分の納得のいく場所と方法で使いたいと、高知市へ移住を考えていた。でも、その夢に家族を巻き込んでいいのか?と逡巡している時に、東日本大震災が起こり、自分と家族の背中を押したという。
黒笹さんは「東京や大阪で暮らす、都会にどっぷり浸った生活者が移住となっても、都会生活の快適な部分はなかなか棄てられない。例えば公共の場所に洋式トイレ、ウォシュレットがあるか。奥さんにはデパートがあるか。身の回りのインフラは重要で、僕はまず大都市からスモールシティへという移住の第一ステップがあってもいいんじゃないかと思います。高知市は、最低限の都市機能を備えながら、良好な自然がすぐそばにありますよね。これは非常に評価できます」と高知市を見ている。
女性のチカラを活かす世界の先進国。
取材をしている最中に、移住への思いや移住者を呼び込むためのアイデアが次々と出てくる。その中でも印象に強く残ったことが高知の「居心地の良さ」と「女性のチカラ」。
「昔の時代の中心地(京、江戸)からすると高知は遠隔地なので、商人などは新しい情報を必ず持ってきたと思います。お遍路さんの文化も、まさにそう。そのため外から来た人たちを大切にするという遺伝子が、高知の人たちの体の中にある。だから私たち(移住者)は本能的に居心地が良い。この感覚を伝えることは、非常に重要だと思います。
また、女性力。断トツに強いですよね。高知県は女性が職場に入っている率が非常に高く、担っている仕事の量と貢献度は大きい。フランスと同じように、女性がすでに社会進出してちゃんと生計を支えている。これ、高知は世界の先進国ですよ(笑)」。
釣りとセカンドライフ、このプレミアムな時間を過ごすために来た黒笹さんだが、高知に来ても引っ張りだこで忙しい日々。「毎日釣りに行くよりは、面白いことがいっぱいある。なかなか釣りに行けないほうが健全な状態だと、ウチの奥さんもそう言っています」とさわやかな笑顔で答えてくれた。
移住後に気づいたQ&A
Q. 定年後すぐに移住した理由は。
A. 会社を卒業したら移住しようとずっと考えていました。その中で高知は最初から気になっていた場所です。ただ僕自身は本気でしたが、家族を巻き込めるのかは半々だろう。見果てぬ夢かなと会社勤めの頃は思っていました。
Q. 家族の理解をどう得ましたか。
A. ウチの奥さんにとっても、放射能不安でスーパーで野菜や肉、魚などの買い物が出来なくなるなど、東日本大震災の影響は大きかった。それで「ママはパパについていく」となり、単身赴任の選択肢がなくなった(笑)。
Q. 家族の高知での暮らしは。
A. 子どもは学校にすぐ馴染みました。奥さんは一生懸命仲間づくりをしていますね。
黒笹 慈幾さんのプロフィール
1950年、東京都生まれ。
小学館入社。
『釣りバカ日誌』の主人公・浜ちゃんのモデルになる釣り好き人間。
2012年に高知市へ移住。
「南国生活技術研究所」代表。