家族の合意で移住を決断した。
大阪で暮らしていた河崎基さんは、病気のため退職し人生の転機を感じていた時期に、知人に高知で農業を一緒にしないかと誘われたのがきっかけで、「高知への移住」が頭に浮かぶようになる。高知にはこれまで2度観光に来て、アウトドアが好きな河崎さんの目には、自然の豊かさを実感していて好印象だった。しかし、高知の学校に子どもがなじめるか、将来の進路のことなど、移住することに悩みもあった。しかし最後は奥さんの千恵子さんと家族の合意を得て、決心したと河崎さん。当時、高知県庁に相談へ行くと「窪川アグリ体験塾」を立ち上げたところだと紹介され、その足で窪川まで。その後、1期生として施設園芸コースに進んだ。
「春野で施設園芸をしている方を、高知の知人に紹介してもらいました。その方に将来の相談をすると『僕に任せてください』と親身になってくれて、このハウスの土地や住宅も、人から人への紹介で貸してもらいました」。
ある程度、金銭的な準備も必要。
2003年に春野でキュウリを作り始めるが、軌道に乗るまで3年近くかかった河崎さん。「最初の2年は、貯金の切り崩しですね。3年目も変わらなければ辞めようと思っていましたが、上手くつくれて価格も良かった。それで続けていく自信はつきました。収入面では決して楽な仕事ではないですが、普通に生活はしていけますね。都会では味わえない、それ以上のものが得られます。農業で一儲けして、という方にはちょっとオススメはできない」と笑う。
地域とのコミュニケーションを大事にしようと、移住後すぐに地区の自治会に入り、自治会長の経験も。今年で12年目の作付けになる河崎さんは、指導農業士の資格を取り、研修生を受け入れている。「移住の先輩として、県外から来る人にはお世話をしたい。特に家族で来る人は、もう他人事とは思えないですね」と話してくれた。
移住後に気づいたQ&A
Q. 実家のある北陸ではなく、高知を選んだ理由は。
A. 北陸は雪国で寒いという気候の問題があり、農業をするなら高知のほうが条件はいいので、帰るという選択肢はなかったですね。ここか和歌山あたりの、海がきれいで暖かいところが候補でした。
Q. 候補地の探し方は。
A. アグリ体験塾にいる時に、町の雰囲気や風景などを見ながら県内をほとんど回りました。興味があった場所は、学校を通じて話を伺いに行きました。
Q. 移住してたいへんだったことは。
A. 子ども達は県外の私立大学へ行きたかったのですが、学費の負担が大きいので諦めてもらったことです。