“よさこい移住”十年目の夏
初めて目の当たりにした「よさこい祭り」の衝撃に背中を押される格好で、私が高知市に移り住んでから、早いもので十年が経とうとしています。
よさこいに関しては全くの素人だった私も、その間毎年「よさこい祭り」に参加させていただいていました。ただ、年を追うごとに、日常生活(仕事や金銭面)とよさこいとの両立の厳しさを感じておりました。また祭りそのものも、観光資源としての盛り上がりを見せ続ける一方で、「祭りらしさが失われつつある」といった声を耳にする機会も増えました。
では、「よさこい祭り」のあるべき姿というものは、どういったものなのだろうか。そもそも祭りの定義とはなんぞや。それらを知りたいという欲求が、自ずと高まっていました。私自身、これまで有名チームの懐を借りて踊ってきただけで、広い意味でのよさこいを体感していないのではないか…とも感じていました。
もとより私は、よさこいがやりたくてこの地に来たというより、よさこいという特殊な祭りを育んできた高知という街に魅了されてやって来た人間です。よさこいと地元との一体感が薄らいでいくなどと見聞きするのは、とても忍びないことなのです。
そんな折、私に「高知市役所踊り子隊」に参加する資格がもたらされました。
「高知市役所踊り子隊」といえば、第1回よさこい祭りから正調一筋に踊り続けてきたチームです。いわば、よさこいのスタンダード。そこに飛び込んでみることで、なにかしら見えてくる景色があるかもしれない。
しかも、たとえ高知市民であっても、市役所関係者ではない限り参加できるチームではありません。これはよさこいの神様が与えてくれた、千載一遇のチャンスかもしれない!と、参加を決めました。
たかが正調、されど正調
改めて申し上げるまでもなく、「よさこい祭り」は自由な祭りです。毎年、どのチームも趣向を凝らし、楽曲や振り付け、衣装を変えてきます。その中にあって、正調一筋の「高知市役所踊り子隊」は、今では逆に特別な存在になっています。
変わることのない踊りを踊り続けるチームのモチベーションが、いったいどこにあるのか、興味もありました。
最初に頭に浮かんだのは「いごっそう」という土佐弁でした。もしかしたら、とんでもなく頭の固い、頑な集団なのかもしれない。ひたすらストイックに芸を磨くことにのみ意識を傾けているのではないだろうか…。
しかし、それらは全くの杞憂でした。よさこいの醍醐味である(少なくとも自分はそう考えています)「真面目に遊び、本気で楽しむ」人々の集まりでした。また、私がよさこいに関して抱えていたモヤモヤした霧のような迷いを一気に晴らせてくれる、胸のすく言葉の数々が飛び交う場所でした。
ちなみに、高知市役所の正調よさこいに、決まり切った正解はないそうです。むろん、基本の型というのは存在するのですが、それはあくまでも道標であり、各々がそれぞれの正解を探り当てていくものだそうです。何というやり込み要素! 誰彼と比較し、競うのではなく、自分自身と向き合うなかで、自らの踊りを紡いでいく楽しさ! なるほど、何年やっても飽くことのない奥深さがあるわけです。
その先には、より自由度の高い「ようたんぼ(土佐弁:酔っぱらい)の踊り」を舞う「別隊」も存在しています。細部ではなく、全体の呼吸でピタリと合わせてくる粋な踊り。今回、練習から間近で拝見していて、何度もゾクゾクさせられました。
個性を認めあったうえで全体としての一体感を生み出していくというのは、私が初めて「よさこい祭り」に参加した折に深く感銘を受けた、この特異な祭りの根幹をなす仕組みそのものとも符合します。
これまで真正面から取り組んだことのない正調の難しさに面食らう場面もありましたし、苦労も多々ありましたが、諸先輩方に丁寧にサポートしていただきました。おかげで練習の段階から、心底楽しんでおりました。惜しむらくは、練習日程と自分のスケジュールとの兼ね合いで、皆勤賞には程遠かったことでしょうか。楽しい時間は、少しでも長く共有したかったのですが。
基本に立ち返る
祭り当日には、市役所のチームだけあって、午前のうちに慰問・訪問の演舞が多いというのも、予想外の喜びでした。
高齢者施設では、祭りの会場に足を運ぶのは難しいであろう方々と笑顔で心の交流を図り、元気を頂戴しました。桂浜公園では観光客の方々を輪に巻き込んで延々と舞い踊り、その楽しさを共有しました。本番前からよさこいの踊り子としての醍醐味を存分に味わわせていただきました。
全ての会場で生歌に太鼓の音が響くのも、踊り子冥利に尽きました。やはりテンションの上がり方が違います。チームの面々のいい意味で肩の力の抜け具合だとか、おおらかな雰囲気も、実に心地がよかったです。移動中には熱いよさこい談義に花を咲かせ、すべての会場で熱く踊りきりました。
また、披露しているのが定番の正調だけあって、観客の中にも手振りを合わせてくれる方が大勢おられました。演者と観客という垣根は低くなり、一体感が生まれ、そこに笑顔と幸福に満ち溢れた空間が醸成されるのです。これこそ、まごうことなき「祭り」であり、私に高知移住への決断を促してくれた「よさこい祭り」そのものです。
何事も、必死すぎると遊びがなくなりがちです。遊び(言い換えれば、余裕)のないものは、つまらないし、脆いものです。やはり「真面目に遊び、本気で楽しむ」心意気こそ、真に粋なものだと確信しました。
「高知市役所踊り子隊」への参加は、私によさこいに初めて触れた時の熱量と歓喜を鮮明に思い出させてくれました。本当にありがとうございました。
今後の“よさこい移住”に活かす
私は、三年ほど前より「高知市よさこい移住応援隊」の一員に加えさせていただいております。よさこいにどっぷり浸りたくて高知に移り住む人々への後方支援はもちろんのこと、今後は縁あって高知に移り住んだ方によさこいに触れていただくことで、新天地である高知の生活をより身近で豊かなものにしていただくような働きかけも考えております。
そのためにも「よさこい祭り」が、現状よりも高知の街との一体感を取り戻してくれることを望んでいます。この多様性に溢れた自由で開放的な祭りが、世代を超えて末永く継承されていくことを願って止みません。
今回の「高知市役所踊り子隊」との関わりをきっかけに、よさこいの基本である正調の楽しさ、面白さを県内外に伝えていくこともまた、よさこい文化のたすきを未来へ繋ぐ一助になれば幸いです。