本文
旧関川家住宅
施設情報
写真
旧関川家住宅
解説
土佐藩は長宗我部氏の遺臣たちに士格を与えて郷士とよびました。郷士には庄屋や農業を営む者が多く、関川家住宅はその郷士・豪農の住宅として典型的なものといえるでしょう。屋敷は、客受けの式台、座敷、奥の間、仏間、女子[おなご]部屋、ヨウノ間、居間、台所、トリノマ、土間、炊事場のミズヤの間取りから構成されています。式台と座敷とは本床、脇床のある書院造りで接客部をなしており、式台とヨウノ間との天井には槍掛けがあり、士族の面影を伝えています。仏間を特に設けてある民家は極めて稀で、女子部屋は窓のない土壁の部屋です。接客部を除いた居住部は大きな柱や梁・桁をみせる民家風になっており、居間には囲炉裏があります。また仕切りも舞良戸[まいらど]という古風な板戸となっています。
また、庇[ひさし]が発達しており、庇を大きくすることによって間数を確保しています。
屋根は萱葺きで、庇の部分は瓦葺きとなっています。床の間の一角に「于時[ときに]文政二夘歳後四月上旬張之野田村大工弥左衛門作」と墨書があり、1819(文政2)年に建てられたか、改築補修が行われたものと考えられます。
この主屋の西側にある道具倉、米倉はともに明治前半ごろに建てられたものです。表門、主屋、道具倉、米倉の四棟が重要文化財に指定されています。